悪との戦い

2012年2月22日(水)更新:2
・斧節『創価学会側と矢野元公明委員長が「手打ち」 双方が提訴4件すべて取り下げ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120220/

・香風『矢野氏との裁判終了』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20121125/

>>金でも支払ったのだろうか?(小野さん)
それは貧しい発想です。名聞名利の人は、世界の全てが名聞名利で動いているように見える。その内なる境涯を変えなければ、いつまでたっても物事の本質を正しく見れません。
●心の眼が「近視眼」になってしまっている。人気や称賛など目先のことだけを考えている。また、基軸となる価値観も混乱している。「乱視眼」の状態である。人類は、“英知の視力”“魂の視力”を、回復しなければならない。柔軟に、また着実に学び続けながら、新しい社会の中で、確かな「正視眼」を養っていくことである。(『箴言集 四季の語らい』池田大作

>>矢野バッシングを止める人物がいなかった時点で学会本部は終わっているよ。(小野さん)
その考えは違います!この度は裁判長の勧告を受け容れたまでで、本来、仏法の世界の「悪との戦い」は世間の内輪ゲンカと全く次元が違います。学会は人の幸福の為に尽くす清純で麗しい団体です。こんな世界は他にはありません。この清らかな世界に、魔が巣くうことを許してしまえば、「師子身中の虫が師子をむしばむ」の御金言のごとく、妙法の世界が蝕まれ、永遠の広宣流布の道が塞がれてしまいます。それでは自他共の幸福もありません。だから悪には一切妥協しないのです。
そもそも、私たちが今こうして学会員として存在していられるのも、今日の学会の発展も、三代の会長、なかんずく池田先生がただお一人で悪と戦い、全同志・学会を厳護してくださったがゆえです。この一点だけみても私たちは先生に大恩があるんです。人知れずどれほどの死闘・激闘があられたか。悪との戦いがなければ、同志を護れないんです。人を幸福にできないんです。それほど悪の害毒は深く恐ろしいものなんです。
仏法の世界では、悪との戦いは峻厳です。「仏法は勝負」です。
同じように、現実の個人のうえでもそうじゃないですか。例えば、テレビの誘惑を断ち切ってお題目をあげよう!これも立派な魔との闘争ですよね。自分の中に、「仏(強い心)」もあれば「魔(弱い心)」もある。負ければ堕落するし、勝てば向上できる。
内(外)なる己心の魔(三障四魔)と戦うからこそ自身の成長があるし、そこに人間革命、境涯革命、宿命転換もあります。魔を打ち破った分だけ、仏に近付けるし、より強い自分になれるんです。個人においても一生涯、魔との闘争です。
ましてや創価学会という人を幸福にする道を教える極善の団体に大悪が競い起こるのは当然です。正しいからこそ迫害される。真実の正義の団体だからこそ妬まれる、悪口される。
魔に誑かされれば、幸福の道が閉ざされ、不幸へと堕ちていく一方です。学会は、大聖人と先生の教え通りに素直に信仰すれば必ず幸せになれる本物の宗教です。民衆の幸福がかかっているからこそ、学会は悪には妥協しないのです。正義が栄えてこそ社会(民衆)の繁栄もあるのです。この根本精神をどうか知ってください。