毎日少しずつでも挑戦していけば「幸福への道」ができあがっていく

2012年2月23日(木)更新:1
・斧節『本尊』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120215/
●*木村─「本尊」とは、どういう意味でしょうか。
*名誉会長─「根本尊敬」という意味がある。「根本として尊敬する対象」です。
 無宗教という人にも、何か、心の底で、一番尊敬しているものがある。その人が一番大切にしているもの、それが本尊です。
 口では何と言おうと、ある人は、「お金」が本尊になっている。ある人は「地位」が本尊になっている。ある人は「恋人」や「家族」が本尊になっている。ある人は「知識」が本尊になっている。また、漠然とした神とか天とか真理とかを本尊としている人もいるでしょう。
 根本として何を尊敬して生きているか──本尊によって人生が変わってしまう。
 日蓮大聖人の仏法では「仏の生命」を本尊とする。大宇宙と一体の永遠の大生命を本尊とするのです。しかも、その本尊とは、決して、遠いところにあるのでも抽象的なものでもない。自分自身の生命そのものでもある。
 日蓮大聖人は言われている。
 「此の御本尊全く余所(よそ)に求る事なかれ・只我れ等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書1244ページ)──この御本尊は、まったく別の所に求めてはならない。ただ、我ら凡夫が御本尊を信じて持ち、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団の中にいらっしゃるのである──と。
 自分自身の中にも、永遠の大生命がある。胸中に御本尊がある。最高の人間尊敬、生命尊重の思想です。その胸中の御本尊を呼び顕すために、大聖人が御自身の生命を一幅(いっぷく)の御本尊として顕してくださったのです。
 勤行・唱題は、ある意味で、一番、簡単な修行です。滝に打たれるとか、特別な苦行をするわけではない。大聖人の仏法が「最高に優れている」ゆえに、「最高に簡単な修行」で、仏界の生命を湧現できるようになったのです。機械だって技術が進めば進むほど、操作は簡単になる。
 一方、自分の生活の場で行う修行であるゆえに、惰性になりやすいし、続けるには、これほど難しい修行もないかもしれない。しかし「毎日、少しずつでも続けよう」と挑戦していけば、自然のうちに、自分の生命の中に「幸福への道」ができあがっていく。不幸の方向へ流されない「生命の防波堤」ができていくのです。 (『青春対話』池田大作