是(妙法)を耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり(p415)

2012年2月28日(火)更新:4
・斧節『権実相対とは』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120218/
>>権実相対とは「比叡山ルール」と考えればよい。 (小野さん)
比叡山ルールという言葉は、御書の勉強会でも、会合でも、同志との語らいの中でも、私は一度も聞いたことがありません。

【御書とともに〈68〉名誉会長が指針を贈る】
●諸経は随他意である。仏が一切衆生の心に随って説かれたからである。法華経は随自意である。一切衆生を仏の心に随わせて説かれたからである。ゆえに、諸経は仏説ではあるけれども、これを信ずるならば、衆生の心に随ったものであるから、永久に仏にはなれない。法華経は仏説であり仏智であるから、一字一点でもこれを深く信ずるならば、我が身は即、仏となる。 (新池殿御消息1437ページ、通解)
法華経は、万人の無限の可能性を信じ抜き、開き切っていく、随自意の教えだ。 「我が身は即仏なり」 「万人が皆仏なり」との大歓喜の表現である。 (聖教新聞 2012-02-15)