妙法の信仰は「無限の向上」 「今から」の決意が歴史を築く力

2012年3月5日(月)更新:1
・斧節『日蓮ユークリッド幾何学か?』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120229/

・リンク先、斧節『宮田論文に関する覚え書き 11』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111213/

【教学論宛 本因妙の精神】
釈尊の本因・本果・本国土を明かす〉
 「本因妙」とは、本来、法華経本門の内容について天台大師が『法華玄義』で説いた「十妙」の一つである。
 本因とは仏になった根本の原因のことで、それが人間の理性の力では捉え切ることができないので「妙」というのである。
 法華経如来寿量品第16では、釈尊が成道(成仏)した本因と本果と本国土の三妙を合わせて明らかにした。
 すなわち、法華経前半の迹門までは、釈尊は19歳で出家して30歳で成仏したという「始成正覚」の立場で説かれている。
 しかし如来寿量品に至って、これまでの始成正覚の立場を覆し、「我れは実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478ページ)と説いて、釈尊が初めて成仏したのは今世ではなく五百塵点劫という久遠の昔であるとの釈尊の本果を明かしたのである。
 また、釈尊が活動する国土も、娑婆世界から離れた浄土などではなく、「我れは常に此の娑婆世界に在って、説法教化す」(同479ページ)と説いて、人間が現実に生きている娑婆世界こそが釈尊の本国土であることを明らかにした。

〈本因妙の立場に立つ日蓮仏法〉
 それでは、この釈迦仏はどのようにして仏になれたのか。その釈尊成道の本因を明かしたのが「我れは本(も)と菩薩の道を行じて(我本行菩薩道)」(同482ページ)の文である。すなわち、釈尊は五百塵点劫において成仏する前は菩薩道を行じていたというのである。その菩薩行の功徳の結果、釈尊は成道することができた。
 そこで、菩薩道を行じていたというからには修行する法がなければならない。釈尊を成仏させた根本の法こそが釈尊の師である。
 しかし、釈尊を含めて諸仏を成道せしめた根本の法は、寿量品においても文上には明示されない。その根本の法を南無妙法蓮華経命名し、初めて万人に説かれた方が日蓮大聖人であられることはいうまでもない。
 釈尊の仏法は、五百塵点劫成道という本果を遂げた釈迦仏を本仏とする仏法であるから本果妙の立場であるのに対し、日蓮大聖人の仏法は、釈尊成道の本因の法である南無妙法蓮華経を直ちに行ずる仏法である故に本因妙の立場に立つ。
 それ故に大聖人は「日蓮が弟子檀那の肝要は本果より本因を宗とするなり」(御講聞書、御書808ページ)、あるいは「本果妙は釈迦仏・本因妙は上行菩薩」(百六箇抄、同863ページ)と教示されるのである。

〈「現在」と「未来」に生きる生き方を〉
 ここで今度は、本因・本果ということを人生の生き方という点から考えてみると、本因妙の立場に立つとは、現在の行動を未来に向けた「因」にして生きる生き方を意味している。
 現在の状況が過去の結果としてもたらされたものであることは事実だが、どんなに過去を悔やんでも事態は打開できない。
 過去にとらわれるのではなく、未来の勝利を展望し、未来のための因を今いる所で作っていくことが肝要である。
 まさに現在と未来(現当二世)に生きることが「本因妙の精神」といえよう。
 本因妙の生き方について、池田先生は次のように述べている。
 「大事なのは『今から』の決意だ。『これからの行動』だ。その連続闘争が、大きな歴史を築く原動力となる。私たちの信心は本因妙である。『今から』『これから』が勝負である」
 また、池田先生は次のような戸田先生の言葉を教えてくださった。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である。朝に今日一日伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上して行く」
 「まだまだ、その上へその上へと向上して行く法である」
 戸田先生は、未来に向けて絶えず成長し向上していく生き方こそが人間としての真の生き方であることを教えられたのである。

〈人間精神の成長に限界はなし〉
 社会においても、近年、人間は何歳になっても成長していける存在であることが強調されるようになっている。
 例えば、脳科学の分野でも、かつては大人の脳細胞は減り続けるだけであると考えられていた。しかし、近年の研究によって、大人の脳内でも新しい神経細胞が生まれることが明らかにされた。最先端の学問も仏法の示す「本因妙」の生き方を裏付けているといえよう。
 創価学会の歴史も、本因妙の精神に貫かれている。
 初代会長・牧口常三郎先生が日蓮仏法に帰依されたのは57歳の時。戸田先生と共に創価教育学会を創立されたのは59歳の時。牧口先生が残された人類史に輝く偉業は再晩年の十数年間になされたのである。
 戸田先生も51歳で第2代会長に就任されて以来、生涯最後の7年間で75万世帯の弘教を成し遂げ、広宣流布の磐石な基盤を築かれた。
 池田先生は、84歳の今も厳然と世界広宣流布の指揮を執られ、世界の同志に勇気と希望を送り続けられている。
 このような三代会長の軌跡こそ本因妙の精神を示すものといえよう。

〈「宿命に負けるな」と励ましてくれた先輩〉
 私自身も体験の上から、現当二世に生きる本因妙の生き方の大切さを実感している。
 私は小学4年の時、母親を事故で亡くした。中学1年の時、父親や兄弟と共に学会に入会したものの、その父親もまもなく病で世を去ってしまった。当時、何も分からない私を先輩が温かく励ましてくれた。
 「今、君自身は、自分の過去の宿業を感じているかもしれない。しかし、それをどんなに悔やんで嘆いても、宿命は転換できない。未来の希望を胸に勤行と折伏に励み、信心を貫いていけば、必ず人生を開いていける」
 先輩は、「宿命に断じて負けるな」と激励してくれたのである。
 そのような先輩・同志の激励があって、私は働きながら夜間の大学に進学し、やがて本部職員にさせていただいて、今日まで広布の最前線で戦い抜いてくることができた。
 「一つの段階を越えると同時に、次の段階へ向かってスタートする。これが本因妙の仏法のゆえんだよ」と指導してくださる師匠と共に前進できたことに感謝している。
 自身の宿命を嘆いているのではなく、信心を根本に、常に未来に向かって前進していくところに必ず道は開かれていく。
 本年は「青年学会 拡大の年」。私も友情の拡大に挑戦し、一人一人の生命の中に勇気と希望の明かりをともしていきたいと決意している。 (聖教新聞 2012-03-04)