心の世界は「自由」

2012年3月8日(木)更新:4
・斧節『視覚とマンダラ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120219/
●斉藤―“三重苦”で有名なヘレン・ケラー女史が、こう言っています。
 「日々の空気の中に、私は雨のような空気のほとばしりを感じます。地球上と天上のすべてを結びつけている、みごとな絆が私にはわかります」〈「生命の七つの謎」〉
 視覚・聴覚を失っても、彼女には大宇宙と小宇宙との交流が、はっきりと“見えていた”。そう思えてなりません。
名誉会長―仏法は、五眼(肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼)を説きます。もしかしたら彼女も、肉眼を超えた、研ぎ澄ました生命の眼で見ていたのかもしれない。
 また逆に、生命は、そういう深い次元で迫ってこそ“見える”のではないだろうか。
須田―近代科学も一種の“慧眼”かもしれませんが、科学の傾向性として、生命を種々の部品で構成された機械のように、とらえようとしました。また生命や人間を、肉体と精神、主体と客体という分離・対立するものに分けて、とらえようとしました。また、生命の働きを物質に還元して把握しようとしました。
 しかし、こうした機械論、二元論では、生命の一側面は解明し得ても、ダイナミックな全体像は見えてこない。
斉藤―かえって人間や生命を「モノ」化し、生命と生命、生命と環境を対立的にとらえることが定着してしまった。環境破壊や人間による自然の支配を許す温床にさえなったとされていますね。 (『法華経智慧 第一巻』池田大作

●名誉会長―また、「眼根清浄」といっても、目が見えない人もいる。その人は「心眼」が開いていくのです。必ず開ける。反対に、視力が2.0であっても、肝心なことは何も見えない人もいる(笑い)。
遠藤―ヘレン・ケラー女史は三重苦を克服した「奇跡の人」として有名ですが、マーク・トウェインアメリカの作家。「トム・ソーヤの冒険」などで有名)が彼女に言ったそうです。
 「ヘレンさん、この世の中には空洞(うつろ)な、どんよりとした、魂の抜けた、物の見えない目というものもあるのですよ」と。〈ヘレン・ケラー「わたしの生涯」岩橋武夫訳、角川文庫〉
名誉会長―彼女は、マーク・トウェインと友人だったね。
 トウェインは彼女のことを「十九世紀は二人の偉人をうんだ。ひとりはナポレオン一世、もうひとりはヘレン・ケラーだ」(ヘレン・ケラー「光の中へ」高橋和夫監修、めるくまーる)と称えていた。
 「ナポレオンは武力で世界征服を企てて失敗した。だがヘレンは、三重の苦悩を背負いながらも、豊かな精神力で栄光を勝ち取ったのだ」〈同〉
 彼女がどれだけ多くの人に「希望」を与え、「勇気」を与えたか、はかりしれない。文字通り、血のにじむような努力、努力を重ねて、学問の山へ登り、転んではまた登り、彼女は叫んだ。「そうだ、心の仙境(ワンダーランド)においては、私は他の人と同じ自由を持つであろう」。〈岩橋武夫訳、前掲書〉
 心の世界は「自由」です。「仙境」というのは「不思議の国」ということでしょう。驚嘆(ワンダー)に満ちた素晴らしい世界が、心の中に開けたのです。自由です。自在です。
須田―そう言えば、池田先生は、学会の目の不自由な方々のグループを「自在会」と名づけられました。
名誉会長―ヘレンには妙法はなかった。妙法を持った自在会の人たちが、最高の「智慧の眼」を開いて、幸福になれないわけがない。
 必ずそうなってほしいという意味で命名したのです。
 また体のほかのところが不自由な人も同様です。 (『法華経智慧 第五巻』池田大作