御指導・寸鉄・きょうの発心 他

2012年3月15日(木)更新:2
●Difficulties only make the strong stronger. Sufferings may be poison to the weak, but they are medicine for the strong. ―Daisaku Ikeda

寸鉄
●信心の芯があれば青年は敗れない―恩師。困難な戦いに挑み自身を磨け!  (聖教新聞 2012-03-15、以下同)

【きょうの発心 自分自身の使命に生き抜く】
 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ(開目抄、234ページ・編464ページ)
通解  私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。  
●さまざまな難があっても、疑うことなく信心を貫く大切さを教えられています。
●「君には君でなければできない、君の使命がある」

【師弟の大道を歩む 新しい力で時代を開け!(17) 3・16「広宣流布記念の日」 後継とは「誓い」に生きる人生】
●今年は、日蓮大聖人が「開目抄」を著されてから740年です。  そこに記されている通り、いかなる迫害に遭おうとも、「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)と、大願に生き抜かれたのが大聖人です。
●「3・16」といっても、単なる過去の記念日ではなく、一人一人が広宣流布の後継の誓いを打ち立てる日です。  池田先生は、こう語っておられます。 「『後継』とは、広宣流布の血脈を受け継ぐことだ。他の『誰か』ではない。『わが身』に広布の誓願を打ち立てることだ。命ある限り、断固として、絶対勝利の正義の旗を打ち立て続けることだ」と。  自らが立ち上がる――この決意に立つのが「3・16」なのです。
●大切なのは「誓願」です。戸田先生も池田先生も、師匠への誓願を果たすために、不惜身命の闘争を貫いてこられた。この「誓いに生きる人生」こそ、最も崇高なのです。
●池田先生は、青年部に贈られた随筆で、こう記されました。  「仏法の『誓願』とは、競い起こる障魔を覚悟の上で、師匠と不二の勇気に奮い立つことである。その時、弟子の生命は、自らの小さな殻を打ち破り、仏に等しい力と智慧を、雄渾に漲らせていけるのだ」  “師匠に応える”という一念に立つとき、自分の壁を破る勇気が湧いてきます。誓願こそ、あらゆる戦いを勝利へと導く原動力となります。
誓願といっても難しいものではありません。自らが奮い立った信心の原点を思い起こしながら、大きな目標や人生の到達点を確認し、その上で「いま何をすべきか」「きょう、どういう行動を起こしていくのか」を決めていくことです。そして祈り、行動していくことです。
●自分が立てた誓いを果たすため、目標を明確に決め、祈り、行動していくなかで、人間革命を成し遂げ、日々の生活でも勝利の実証を示していくことができます。
●「毎日が3・16」という思いで、日々、誓いに生きる人生を送っていきたい。師の期待に応えゆく弟子でありたい。