わが友に贈る・寸鉄・名字の言 他

2012年3月19日(月)更新:2
【わが友に贈る】
 誰が見ていなくとも 使命の劇を 一人演じ抜け!
 誠実こそ誉れ。
 冥の照覧は厳然なり! (聖教新聞 2012-03-19、以下同)

寸鉄
●激動の今こそ池田会長の慈悲の哲学が必要―総裁(ウズベキスタン) 世界に広がる希望の指標

【名字の言】
●体を鍛える基本が「歩く」ことなら、頭を鍛える基本は「読む」ことだろう。例えば、「1日1万字」なら、20分程度の読書で到達する。“万歩”ならぬ“万読”を持続すれば、大きな知の財産になる
 「色心不二」の妙法である。私たちの「信行学」の実践は、信=心を磨き、行=体を動かし、学=頭を鍛えることにも通じる。広宣流布のため、友のための日々の学会活動は、心身の健康をつくる最高の価値創造となる。

【今週のことば】
 進学、就職、転勤など 新出発の友にエールを!
 いずこも「常寂光の都」なり。
 創価家族の誇りを胸に 勝利の旗を打ち立てよ!

【新・人間革命 薫風 四十三】
●人に発心を促すのは、権威ではない。心に染み入る、誠実の振る舞いなのだ。

【社説 幸福を生む笑顔のつながり】
〈師と共に同志と共に前進〉
●哲学者のアランは、主著『幸福論』の中で、次のように語っている。
 「幼い子どもがはじめて笑うとき、その笑いはなにひとつ表現はしていない。幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい」と(白井健三郎訳・集英社文庫)。
 一人で満たされていても、笑うことの本当の意味はわかり得まい。むしろ、笑顔のつながりの中から、真の幸福は生まれるのであろう。そのことを、人は心で理解し、身体で感じるに違いない。
 師と共に、同志と共に、にぎやかに、いつも笑顔を忘れず前へ進む――そうした学会らしさをどこまでも大切にしながら、共感の輪を幾重にも広げたい。

【師弟の大道を歩む 新しい力で時代を開け!(18) 「地域」に励ましを送る名誉会長 わが愛する郷土で友情を拡大】
●横田 いま北海道では新聞だけでなく、テレビでも池田先生の指針に触れることができます。テレビ北海道で毎週、先生のエッセー集『愛する北海天地』がテレビ番組として放送され、反響を呼んでいます。
吉井 『愛する北海天地』は先生が2009年、北海道の室蘭民報十勝毎日新聞釧路新聞、苫小牧民報、函館新聞の5紙に、12回にわたり寄稿されたものをまとめた書籍ですね。
野村 マスメディアの関係者も、「人々に勇気と希望を送る『愛する北海天地』は、まさに道民必読の一書」と賞讃するなど、大好評を博しています。  その先生の言葉を、北海道の美しい自然の映像とともに紹介するのが、今回の番組です。
横田 感想も続々と寄せられています。  釧路市にある企業の社長は「力強く、確信ある言葉に、どれほど勇気づけられたことでしょう。長年、北海道に住んでいる私たちでも気づかない北海道の強さをあらためて感じ、感動しました」と。  「学会の理念は、まさにいまの時代が求めるものです」と語る方もいました。
原田 北海道のほかにも先生は折に触れて、各地のブロック紙や県紙に寄稿されています。それら一つ一つが、その地に住む同志をはじめとする皆さんへの励ましであり、郷土愛と誇りをもって生きていってほしいとのエールです。

〈真心の題目で追善〉
●吉井 彼岸の期間中、全国の墓地公園には多くの方が墓参に来られます。学会員でない親族の方々も、自然と調和した穏やかな環境に感銘されています。 
原田 池田先生は先日の随筆で「今日蓮等の類い聖霊(しょうりょう)を訪(とぶら)う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」(御書712ページ)との御聖訓を引いて語られました。「『題目の光』こそ、あらゆる人の生命を輝かせ、三世永遠に救いきっていく根源の『福光』である。私たちが真心込めて送る追善回向の題目は、いかなる悲嘆の闇も打ち破り、亡くなられた方々を、必ずや赫々たる光で黄金に照らしゆくに違いない」と。亡くなられた方々のご冥福を祈り、追善の題目を真心から送っていきたい。  
吉井 先生は、家族を亡くした方への励ましとして、こう述べられたことがあります。「大事なことは、遺された家族が有意義な幸福の人生を飾ることでしょう。“悲しみの遺族”から“希望の後継者”へと、一歩、踏み出して、より勝ち栄えていくことではないでしょうか。未来を見つめた一家の前進の姿こそ、生死を超えて故人にも通じ、最高の供養になると私は信じます」と。  
杉本 毎日の勤行の御祈念文で追善回向を行っているように、仏法の本義は「常彼岸(じょうひがん)」「常盆(じょうぼん)」です。日々の広宣流布への祈りと実践による功徳は、故人にも通じます。

〈宗祖違背の邪宗門〉  
●横田 一方、彼岸や盆の時期になると、日顕宗の坊主らが、“坊主が導師をしないと故人は成仏できない”だの“塔婆を立てないと地獄に堕ちる”だの、御書のどこにもない邪説を振りかざし、“供養集め”に狂奔してきた。とんでもないことだ!  
正木 日顕宗には、故人を悼む気持ちが微塵もなく、心ない所業を繰り返してきた。大石寺での遺骨の不法投棄事件では、最高裁から断罪された。何と遺骨を米袋に詰め、境内の空き地に捨てていた。遺族へ計200万円の慰謝料支払いを命じる判決が確定している(2003年12月)。  
原田 日蓮大聖人は「まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる」(同1486ページ)と御断言です。妙法流布を成し遂げてきた仏意仏勅の教団である創価学会に怨嫉し、世界広布の破壊を企んだ日顕宗は、大聖人違背の邪教である。悪辣な行為に対して、徹して責め抜いていきたい。