広布の運動は人から言われてやるものでなく自ら誓い願って進めるもの

2012年4月1日(日)更新:3
【名字の言】
 82年前の1930年3月、インドのマハトマ・ガンジーは、アラビア海に面するダンディー海岸へ、約400キロの道を歩き始めた。「塩の行進」である
 待ち受けていたのは、投獄だった。だが彼は、獄中から弟子たちへ手紙を送り続ける。投獄から5カ月後、「誓願の重要性」について、次のように綴っている。「なすべきことを、なにがなんでも遂行する――これが誓願です」「不撓の決意なくしては、進歩は望みえない」(森本達雄訳『獄中からの手紙』岩波文庫) ガンジーは、独立への非暴力闘争を「サティヤーグラハ(真理を堅く守り抜く)」と呼んだ。いかに我が身が危うくなろうと、「真理」に随うという内発の誓いが、運動の成否を決することを知っていたからだ
 広宣流布の運動も、他人から言われてやるものではなく、自ら誓い願って進めるものであろう。「地涌の菩薩」としての誓願である。誓願には、いかなる困難にも打ち勝って進む、強い意志がある
 池田名誉会長は呼びかける。「汝自身の胸中に/自らの汗と労苦により/広布を必然たらしめんとする/熱情のありや無しやを/常に問え」。きょうも、自分自身に問いながら進みたい。「我が胸に広宣流布への誓願は燃えているか」と。 (聖教新聞 2012-03-31)