「勝利の道」は苦難を乗り越える道

2012年4月15日(日)更新:1
【One World with Sensei ―世界の機関誌・誌から― アメリカ 「Living Buddhism」誌から 法廷弁護士としての受賞は師弟の誇り】
〈願いは決意に〉
●いつも深夜2時まで勉強したにもかかわらず、成績は「B」か「C」と芳しくありません。自分は完全な敗北者だと感じ、落ち込み、孤独感にさいなまれました。
 ある時、信心の先輩に相談をすると、先輩は、“夢を絶対に見失ってはいけない”と強く励ましてくれました。
 「君には御本尊がある。だから、どんな困難にも絶対負けない。そう決めるんだ。自分が敗北者だと思うのは幻想で、自分の中にある“無明”が原因なんだよ。自身に秘められた可能性を湧現すれば、何度でも、困難を乗り越えられる」と、懸命に話してくれたのです。
 この時から、御本尊への祈りが、“助けてください”という願いから、“何があろうと必ず勝ちます!”という決意に変わりました。
●ところが、この「法律評論」に選ばれないことを知った時、絶望しました。“SGIの同志に、題目の力を証明しようと祈ったのに、なぜ、かなわなかったのか”と、疑問に思いました。

〈不満は感謝に〉
●その後、間もなくして、池田先生の小説『人間革命』の一節を読み、衝撃を受けました。戸田先生の一人の弟子が事業に失敗し、別の地域に移り住もうという相談をした時のことです。戸田先生は、次のように語っています。
 「君はいま気がついていないが、困難に決然と立ち向かう勇気よりも、御本尊様の加護のほうを先にあてにしている。私はそんな意気地なしを育てた覚えはない!」
 「信心しているからなんとかなるだろうというのは、信心の堕落です。ない知恵を絞り、汗水たらして一生懸命になるから不可能も可能になる。このとき、御本尊の加護が厳然とあらわれるのです」
 私は深い感銘を受け、“今こそ仏法の力を証明するため、真の戦いをしなければいけない。これまでより一層、努力していこう”と決めました。
 受からなかったことへの不満は、貴重な教訓を得たことへの感謝に変わりました。その後、私の成績はどんどん上がりました。
●その中で、心のどこかで“自分はよくやっている”“もう十分じゃないか”と、時に慢心に陥りそうになったこともあります。
 まさにその時、大聖人の新池御書の一節、「始より終りまで弥(いよいよ)信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこ(運)びて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠(なが)め候べき」(御書1440ページ)を拝し、深く反省し、卒業まで全力で努力を貫くことができたのです。

〈より大きな夢に〉
●私が弁護士として成長を遂げることができたのは、90年2月の、池田先生との出会いがあったからです。
●それ以後、私は御本尊根本に、池田先生の指導通りの人生を歩み、最も人間的な、最高の弁護士になれるよう努めてきました。
 弁護士として、どれほど成功しても、常に先生の指導をど真ん中においています。組織では地区幹事をしています。絶えず自身の慢心をチェックし、周囲から信頼される人を目指してきました。
 周囲の評価は求めていなかったにもかかわらず、私は二つの意義深い賞を頂くことができました。
●私はこれらの賞を誇りに思います。なぜなら、これは私が池田先生の弟子として、誓願に生きた証しだからです。20年前、先生が私たちに激励された一つの結果であり、一つの象徴だと思うのです。
●青春時代、信心で築いた基盤は、今、想像もしないような形で報われました。「勝利の道」は、まさに先生と心を合わせ、苦難を乗り越えるなかにあるのです。新池御書の一節の精神で、私は、自身の体験を通して、そのことを生涯、訴え続けていきます。 (聖教新聞 2012-04-14)