励まし運動に社会の信頼

2012年5月4日(金)更新:5
・斧節『書評:浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか(島田裕巳)』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120428/
【希望のSGI〈12〉=完 香港SGI理事長 ンチョーヨッさん 「他社に尽くす」生き方を】
〈池田SGI会長の香港訪問は20回。呉(ン)理事長のSGI会長との出会いを教えてください。〉
 私は1983年5月に入会し、直後の12月、香港を訪問された池田先生にお会いしました。香港に学生部が結成され、私もその一員だったのです。
 結成式に出席した先生は、一人一人と握手され、「おめでとう!しっかり頑張るんだよ」と声をかけてくださいました。

〈入会のきっかけは?〉
 香港中文大学に通っていた時、日本から留学していた友人から、池田先生のことを聞きました。
 話していると、彼が、心の底から先生のことを尊敬しているのがよく分かるのです。その理由を知りたくなったのが始まりです。
 そして、先生のような偉大な方がリーダーを務める宗教なら正しいに違いないと、入会を決めました。大学を卒業した翌月のことです。
 いい大学を出て、いい仕事に就き、いい生活を送るのが人生の目的のような社会の風潮の中で、他者をどう励ますかを真剣に考え、他者のために尽くすという先生の思想と行動に、大きな感動を覚えました。
 「他者に貢献する生き方」を教えてくれたのが先生であり、SGIでした。

〈香港は今年、中国返還から15周年を迎えます。〉
 世界的な注目を集めた返還は、1997年7月1日。先生は、同年の2月に香港を訪問し、文豪の金庸氏と会見されました。
 「返還後も香港は栄え続ける」と明るい展望を語り、人間に光を当てた「心の充足」が焦点になると、香港の課題を明確にしてくださいました。
 この時、「SGI総会」や、世界100ヵ国の友による第16回「世界青年平和文化祭」が香港で開催されました。長編詩「『栄光の都市』香港の旭日」も発表されました。
 私たちが広宣流布に進んでいくための勇気と力を、幾重にも引き出していただいたのです。
 青年部のリーダーをしていたこの時、先生からいただいた「青年部の発展をよろしく頼みます」との言葉は、今でも命に刻まれています。

〈香港は、2003年の新型肺炎重症急性呼吸器症候群SARS)の流行という危機も乗り越えてきました。〉
 この時も先生は、すぐに手を打ってくださいました。
 最前線の医師や看護師のメンバーのことを心配してくださり、メッセージを贈られるとともに、「香港薬王(やくおう)会」と命名してくださいました。また、騒ぎが大きくなる前に、香港創価幼稚園の園児にも、さまざまな激励を贈られました。
 この時期は、皆で集まって活動することができなかったために、毎日の唱題、研鑽に加えて「3人の友人に電話をする」運動を展開しました。会員であるなしを問わず、友人・知人に電話し、感染予防を呼びかけ、励ましの言葉をかけ続けたのです。

智慧と工夫を発揮した、地味な活動ですね。〉
 あの時、感染経路が特定されず、香港中が恐怖に包まれていました。多くの会社で、全員が感染する事態を避けるため、交代出勤の体制がとられたほどです。
 毎日か不安でしたから、私たちの活動を、友人たちは本当に喜んでくれました。

〈先生はSGIに、一貫して「良き市民たれ」との指針を贈られています。〉
 お話ししたように、個人の利益を追求しがちなのが香港人の傾向です。
 一方、どうやって他者を励ましていくかを考え、行動するのがSGIの哲学であり、その模範が、池田先生なのです。
 先生の指針の通りに挑戦する香港の同志は、社会で信頼を得て、活躍しています。

〈若いメンバーの奮闘も光っています。〉
 青年部員たちは、先生のご指導を学び合い、それを多くの人に伝える努力をしています。
 2月には、香港大学で「暴力の文化から平和の文化へ――人間精神の変革」展が開かれ、学生部員が他の学生と共に、5日間で1000人を超える来場者と友情の対話を広げました。
 青年が、自ら学び、考え、実践する。そしてそれを友人に伝えていくという、素晴らしい伝統ができつつあると実感しています。
 「青年SGI」の構築へ、香港が世界の先頭に立ってまいります! (聖教新聞 2012-04-30)