名誉会長が祝福のメッセージ・名誉会長に感謝状・社説 他

2012年9月1日(土)更新:3
【わが友に贈る】
 躍進の9月だ。
 白馬が駆けるような 清々しい勤行・唱題で 勇敢に勝ち進め!
 共に勝利の金字塔を。 (聖教新聞 2012-09-01、以下同)


寸鉄
SGI会長の対話は孤立した人を共感の場に招き入れる―教授。人間外交の模範
●きょう牙城会の日。学会厳護こそ師弟不二の道。若き情熱が勝利を開く力
●一対一が広宣流布達成の鉄則だ―恩師。勇んで友の中へ! その一波が万波
●1日30分の運動で脳神経細胞は増加と。人の為に動く。これ最高の健康法
●野生生物の絶滅危惧種が400種増と。生命を尊ぶ社会へ英知の結集を急げ!


【「御義口伝講義」50周年 首都圏学生部が記念の集い 名誉会長が祝福のメッセージ 正義の旗掲げ勝利へ進め】
●名誉会長はメッセージを贈り、広布のために真剣に学び、戦う学生部の友を賞讃。
 「いかに厳しき大闘争の連続にあっても、唱題を重ねての労苦の一つ一つが、わが青春の最高の栄光の歴史となり、黄金の生命と光り輝いていく。それを悠然と確信してもらいたい」と語った。
 さらに「師弟の正義の旗を掲げ抜く後継の学生部の君たちに、私は『勇気』の二文字を贈りたい」と述べ、いかなる時も勇敢に勝利の前進を呼び掛けた。
●御義口伝――日蓮大聖人の御口述を、弟子の日興上人が筆録された“師弟一体”の重書。名誉会長が戸田会長から講義を受けた御書でもある。


《第1期受講生 原田会長の話 真剣勝負の薫陶》
●メンバーの弱々しい御文の拝読に対しては、「今のような読み方で、日蓮大聖人の仏法に肉薄するとは何事だ!」と烈火の如く叱られました。
●「御義口伝講義」が開始された昭和37年は、池田先生の会長就任から3年目。
 この年の1月25日、先生は約4年半におよぶ法廷闘争の末、「大阪事件」の無罪判決を勝ち取られました。
 これは当時、有罪率99%以上ともいわれた検察を相手にした刑事事件です。事実無根の選挙違反容疑にもかかわらず、味方のはずの弁護士からも「有罪は覚悟してほしい」と言われるほどでした。
 先生は、この権力の魔性と戦い抜かれる中で、真に民衆を守り抜く人材の育成を、さらに強く決意されたのだと思います。
●それは、たとえどんな迫害に遭おうとも、三代の会長の心を継ぐ本物のリーダーに育てとの厳愛にほかなりませんでした。


《第2期受講生 山本副会長の話 弟子を思う師の心》
●池田先生はある日の講義で、慈愛を込めて語ってくださいました。
 「皆さんは、これから社会に出ると様々なことが起きるだろう。勝つことばかりじゃない。敗れることもあるかもしれない。大海原に船を出して嵐に遭い、難破しそうになって、へとへとになって母港に帰ってくることもあるだろう。その時、私は、“とも綱”を結ぶ杭(くい)となる。だから安心して頑張ってください」
 師匠というのは、これほどまで弟子のことを思ってくださるのかと、深く感動しました。
 また池田先生は、「この講義を修了したら、私の代わりに、どこでも自由に講義をしていいんだよ」「世界は広い。仏法用語で語っても分からない人もいるだろう」と言われました。
 世界の異なる文化や思想、言語をもつ人々にも分かるように、普遍的な言葉で、仏法哲学や先生の思想を伝えていくことが、学生部の使命だと皆で誓い合いました。


新渡戸稲造を宣揚する団体から池田大作名誉会長に感謝状 共存共栄の理想社会へ精神の継承者を讃えて】
●「財団法人 新渡戸基金」から池田大作名誉会長に「感謝状」が贈られた。
 新渡戸稲造の平和の精神を広く伝えてきた功績を讃えるもの。
●「新渡戸稲造は、当時から日本の教育の危機や、戦争に進もうとする世情を憂い、これを転換するため、死力を尽くし、共存共栄の理想社会の建設に生涯を捧げました。
 それは、新渡戸と同時代に生きた創価学会の初代・牧口会長の生涯にも共通しているように思います。
 牧口氏を師匠として生き抜いた第2代・戸田会長、そして第3代・池田会長に、その精神と行動が脈々と受け継がれていると深く確信しております」(内川理事長)
●名誉会長は、折々のスピーチや著作で新渡戸の言葉を紹介し、その尊い人生や思想を伝えてきた。
●「庶民の幸福を願ってやまない慈愛」こそ新渡戸稲造と牧口会長に響き合う心(名誉会長の謝辞)
●わが生命を燃やし、未来の世代に尽くす不屈の魂こそ、時代の闇を破る「希望の太陽」である(同)
●新渡戸の黄金の足跡に続いていきたい(同)
●「苦しみが最大のとき、幸福の味わいも最大となる」(新渡戸)


【中国の国学大師 饒宗頤氏から永続の友誼を込めて】
●氏と池田名誉会長は親交が深く、2009年には対談集『文化と芸術の旅路』(潮出版社)を発刊。その中で氏は「人間として、師を敬う精神こそ最も大切なことであり、人間の成長、人間の向上の出発点です」と師弟の道を歩み抜く名誉会長の人生を称えている。


【地域紀行 使命の青春今ここに 総岩手牙城会新世紀大学校 会館を守ることは命を守ること】
●車中、不安で胸がいっぱいだった。「被災された方々に何と声を掛けたらいいのだろう?」と。
 ――よく「同苦」というが本当の苦しみは経験した人にしか分からない。が、相手の立場に思いを馳せ、同じ苦しみに立とうとする努力はできる。その努力を怠れば、相手は心を閉ざしてしまう。
 千葉さんは、とにかく祈ることしかできなかった。
●「人を励ませる強い人間になります」
●「会館を守ることは同志を守ること。そして、人々の生命を守ることであり、地域を守ることである」
●「もう、どうにでもなれ」――自暴自棄の生活が1年ほど続いたころ、悲劇が襲う。父が事故で亡くなった。
 涙が出なくなるまで亡き通した。世の中を恨みもした。だが、母は一人、御本尊に思いをぶつけていた。時に唱題の声を詰まらせながら。
●何よりもうれしいのは、皆がありのままの自分を受け入れてくれること。共に悩み、祈り、動いてくれる。しかも、何の見返りも求めずに。「そんな仲間、今までいなかったから」

《牙城会 君たちありて 創価城》
●「牙城会は、本部、会館、そして、学会員を守る大切な使命がある。だから、どんな小さいことも見過ごしてはいけない」(名誉会長、以下も)
●「だれも見ていないところで忍耐強く戦っている人をこそ、私は讃えたい。大切にしたい」。


【社説 きょう、防災の日 深い信頼築く行動こそ「共助」】
〈温かく迎えてくれる学会員〉
東日本大震災後の内閣府調査(平成23年度)では、「震災後、強く意識するようになったことは何か」との質問(複数回答)に、「家族や親戚とのつながり」との回答が67・2%と最も多く、「地域でのつながり」(59・6%)等が続き、「共助」の大切さが浮き彫りとなった。
●一方で“無縁社会”という言葉に象徴されるように、人間関係が希薄になっている現実がある。特に都市部での高齢者世帯、単身赴任者、一人暮らしをする社会人や学生などは、地域から孤立してしまいがち。かといって積極的に地域との関わりを求める人は少なく、皮肉なことに災害をきっかけに人間関係ができたという例も少なくない。
 「どこへ行っても学会員が温かく迎えてくれ、古里がいくつもできた」と、仕事で転居を繰り返す家族が語っていた。

〈人に尽くし地域を理想郷に〉
●地域の平和と発展を願い、自治会や地域活動に主体的に参加し、座談会に近隣の友を招いて信頼関係を深める私たちの日常活動そのものが、「共助」の環境を築いている。
 池田名誉会長は地域の絆について、「地域に根を張り、人々のために尽くすことが、どれほど偉大なことか。地道な活動が、深き信頼を築いていく。わが地域を、希望輝く理想郷へと変革する力となる」と語った。
 「レリジョン(宗教)」の語源は「再び結び付ける」の意。人と人とのつながりを一層深め、安心、安全の社会を目指す、私たちの使命はいや増して大きい。


【きょうの発心 愛する郷土で活躍の場広げる】
御書  御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり(檀越某御返事、1295ページ・編1092ページ)
●仕事に取り組む姿勢を教えられた一節であり、仏法に精通した人は、職場、社会で勝利者になっていくべきである、との仰せです。
●半年ほどすると、作業に愛情と誇りを持ち、自身の使命の仕事と思い定めるように。
●ライフワークの油絵を制作しながら、芸術部としても挑戦の日々を送っています。


パラリンピックの話題から 開会式の空中演技で喝采受けた男子部本部長 イギリスSGI ミルトン・ロペスさん(俳優) 困難さえも価値あるものにできる!】
●唱題を始めると、うつから少しずつ回復し、自分自身を取り戻し、落ち着くことができたのです。
●病気で死を待つばかりの友がいるという女性には、仏法の永遠の生命観を話しました。彼女は感動して、休憩時間に一緒にその友のために唱題。喜んだ彼女が周りに声をかけるので、毎日のように自然に対話が広がり、話を求めてくる人には機関誌「アート・オブ・リビング」を手渡してきました。
 私が信仰してからの一番の変化は、歓喜と幸福は心の中からやってくると知ったことです。そうなれば、人生の全てが、困難さえもが価値あるものになりうるのです。私は、どんな状況にも左右されず幸福であることができると思っています。


【ターニングポイント 自分を信じて強くなれ!ろう者サッカー男子日本代表監督 柴田英輝さん】
●「そんなことやっても変わんねーよ。祈って何になるんだよ」。暴言を浴びせたことは、一度や二度じゃない。
 それでも、涙を流しながら祈り続けた母。その光景が頭から離れなかった。
●これまで感じたことのない躍動感。日々の生活が充実した。1年後、自分の心が、変わっていることに気付く。“この信心はホンモノかもしれない”
●夢なんて、もう持てないと思っていた。
 「信心に、ムダなことは、何一つないのよ」
 かつて母が語ってくれた言葉が今、何度も胸に迫ってくる。
●へこたれそうになったこともある。つぶれそうにもなった。そんな状況からでも、夢に向かって挑戦できること。それ自体、最高の生き方だと思えた。