心のアンテナ高く人間愛の闘争

2012年9月10日(月)更新:2
【社説】
 「人権」というと難しいが、「みんなちがって、みんないい」(童謡詩人・金子みすゞ)といったら、どうだろう。
 誰もが、人間として、人間らしく開花し、人間としての使命を全うしていく権利がある。あす8月26日は1789年に「フランス人権宣言(人間と市民の権利の宣言)」が採択された日。現代人とも無縁でなく、宣言は今も生きている。
 「人権にかんする無知、無視あるいは軽蔑が公衆の不幸と政府の腐敗の唯一の原因」と宣言の前文にある。

〈社会にいじめ許さぬ気風を〉
 その指摘は重い。「あなたは人権が侵されたときに心の痛みを感じるがゆえに人権の意味を知っている」(リン・ハント著、松浦義弘訳『人権を創造する』岩波書店)といわれる通り、抑圧した側は分からなくても、された側は忘れない。「威張る心」「嫉妬」「自己本位」――低次元の感情が人権を壊す。「いじめ」も、そうだ。「いじめ」は、れっきとした人権侵害であり、8・12「教育原点の日」を記念して行われた教育本部の座談会でも語り合われた(本紙12・14日付) 。
 問題は実に複雑で、こうすれば解決できるという処方箋があるわけではない。子どもたちも、自分がいじめられていることをなかなか言い出せないという実態があり、大人が気付かないうちに自尊心を深く傷つけられていく。それだけに、周囲が「心のアンテナ」を高くしておかなければならない。
 教育座談会では、「一つのクラスだけでなく、学校全体として、社会全体として、いじめは許されないという気風をつくることが大事」「教育は『共育』であり、『協育』です。『協』は三つの力を足す(+)と書きますが、学校、家庭、地域の三つがお互いに力を合わせていく。それでこそ、子どもをより健全に育てることができる」との声が聞かれた。

〈一人を大切にする実践から〉
 差異を認められない狭い心が、いじめの根にある。――障がいのある高校生に、他人からの心ない嘲笑が。悩む友に池田名誉会長は「結論から言えば、自分が強くなるしかない。それも人権闘争です」「『自分としての使命があるのだ』との誇りをもつことだ」と(青春対話)。
 人権意識を高め、人間を「手段」ではなく、「目的」として見る哲学を持たなければ、永久に差別社会はなくならない。人権とは「戦い勝ち取るもの」でもある。創価の運動は、真に「一人を大切にする」人間愛の闘争である。
   (聖教新聞 2012-08-25)