教義の正しさを検証する基準

2012年9月10日(月)更新:5
【みんなで学ぶ教学(3)〜新会員のための仏法用語〜 三証】
●「世界にはたくさんの宗教があるけれど、宗教を選びとる基準はあるの?」
 友人からこのように質問されたとき、皆さんならどのように答えるでしょうか。
 宗教は実に多種多様です。宗教団体の数を参考にあげるとすれば、登録されているものだけで、日本に限っても18万以上の宗教法人があります(平成22年12月31日現在、文化庁調べ)。
 宗教には、高低浅深があります。宗教を選ぶにあたっては、それを見極めなければなりません。
 では、どうすれば優劣を判定することができるのでしょうか。
 その“物差し”となるのが、今回学ぶ「三証」です。三証とは、宗教の正しさを検証する基準で、文証、理証、現証の三つをいいます。
●宗教を選びとる基準はあるのでしょうか?
 文書・記録に則っているか
 道理にかなっているか
 実際に結果が出るか
  ――これら「三証」が判定の“物差し”になります。

〈文証――経典など根拠となる言葉〉
 「文証」とは、文書、記録など文献上の証拠を指します。仏教においては、その宗派の教義や主張が、経文、仏典の裏付けをもっているかどうかということになります。
 日蓮大聖人は「経文に明(あきらか)ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり」(御書482ページ)と仰せです。すなわち、経文上の明確な根拠のある教義を用いるべきであり、経典によらない教えを用いてはならない、との戒めです。
 御書には、各所に文証の大切さが記されています。
 「文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ」(同148ページ)
 「仏法は強(あなが)ちに人の貴賤には依るべからず只経文を先(さ)きとすべし」(同481ページ)
 文証に基づかない教義は、所詮「己義(自分勝手な考え、教え)」にすぎません。
 大聖人御自身も、さまざまな御書で、経文を丹念に引かれながら教えを説かれています。
 そして創価学会は、大聖人の御書に基づいて仏法を実践しているのです。

〈理証――道理に合致しているか〉
 「理証」とは、その宗派の教義や主張が、道理にかなっているかどうかです。宗教を判断する理論上の証拠ともいえるでしょう。
 道理とは、教義それ自体に矛盾がないかどうか、人間としての良識にかなった内容かどうか、合理的な批判に耐えられるかどうか、ということです。
 「仏法と申すは道理なり」(御書1169ページ)と仰せのように、仏法は道理にかなった教えでなければなりません。誰が聞いても納得のいく普遍妥当性に貫かれていることが、正しい教えの根拠になるのです。
 大聖人は「文(もん)無く義無きは信受すべからず」(同219ページ)との天台大師の言葉を引かれて、文証も理証(義)もない教義を信じてはならないと戒められています。

〈現証――現実に現れる明確な証拠〉
 「現証」とは、その宗派の教義や主張どおりの結果が、生活や社会に現れるかどうかということです。
 宗教とは本来、観念的なものではなく、人々の生活・人生や、社会の在り方に重大な影響を及ぼすものです。その現実の結果が、宗教の勝劣浅深を判断していく基準となります。
 「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書1468ページ)と仰せのように、大聖人は、文証・理証以上に現証こそが重要であるとされています。
 世間一般にも「論より証拠」といいますが、いくら経文の裏付けがあり、話の道理がとおっていたとしても、具体的な結果が出なければ、その主張は“絵に描いた餅”と言わざるをえません。
 日蓮仏法は、一人一人が偉大な可能性を発揮し、勝利の結果を得ることができる宗教なのです。


●このように日蓮大聖人は、文献・道理・現実の結果という三つの角度から、宗教の高低浅深を判断すべきであるとされています。
 薬に譬えていえば、文証は成分表や効能書きにあたり、理証は薬が効く確かな理由にあたり、現証は実際に服用して出る効果にあたります。
 三証は、宗教を科学的な眼で判定しているのです。そのことは宗教の選択という問題について、大聖人が極めて客観的・実証的な態度をとられていたことを意味しています。
 大聖人の仏法は、理論のうえでも、現実のうえでも、万人が納得できる普遍的な根拠をもつ宗教なのです。
 戸田第2代会長は、次のように語っています。
 「仏法は、すべて証拠主義である。証拠がなければ、観念論でしかない」
 現代にあって、大聖人の仰せどおりに信仰の実証として現証を示しているのが、創価学会員です。
 その例は枚挙にいとまがなく、信心根本に苦難を乗り越える姿そのものが、日蓮仏法の正しさの証明にほかならないのです。
 私たち一人一人が、強盛な信心で、輝く功徳の実証を築き、善の連帯を拡大してまいりましょう。
   (聖教新聞 2012-09-09)