右手がなくても、左手で書ける。足で走れる。前へ上へと跳躍できる

2012年9月19日(水)更新:4
【名字の言】
 来月、国内最大の「全国障害者スポーツ大会」が開催される。100メートル走と立ち幅跳びの2種目で出場する札幌市西区の地区部長は67歳。「若い人には負けません」と意気軒高だ
 56歳の時、事故で右手を切断。左手で字を書く練習に励み、現在はペン習字教室の代表まで務める。大腸がんも患ったが、苦しい治療を乗り越え完治。6月の予選では、昨年の全国優勝記録に迫る好成績を出した
 右手がなくても、左手で書ける。足で走れる。前へ上へと跳躍できる。年を重ねても、青年の心で進む――彼は常に、己の限界と戦い抜いてきた。弘教や友好対話にも、雄々しく先駆する
 “パラリンピックの父”L・グットマンは「失われたものを数えるな。残っているものを最大限に活かせ」と(中村太郎著『パラリンピックへの招待』岩波書店)。どうせ数えるなら、欠点より長所、“できない理由”より“できる可能性”の方がずっといい。そうすれば世界が広がる。必ずできる、やってみせる、と決めれば、知恵が湧き、勇気が湧く
 「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)。先の壮年も座右の銘にする一節だ。わが目標と夢を真っすぐ見つめ、かけがえのない日々を悔いなく勝ち飾りたい。
   (聖教新聞 2012-09-19)