学会ありて「仏法西還」は実現

2012年9月26日(水)更新:3
【10月度男子部「御書活動者会」研鑽のために 諌暁八幡抄 広布の主役の決意で進め!】
〈御文〉 月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり (御書588ページ)

〈通解〉 月は西から東へ向かう。それは月氏の仏法が東へ流布する相である。日は東から出る。日本の仏法が月氏国に還るという瑞相である。月はその光が明らかでない。仏の在世に法華経が説かれて人々を照らした期間は、ただ8年である。日は、その光明が月に勝っている。これは、五の五百歳、すなわち末法の長い闇を照らすという瑞相である。仏は法華経を謗法する者を治されることはなかった。それは、在世には謗法の者がいなかったからである。末法には、必ず一乗(法華経)の強敵が充満するであろう。(このような時には)不軽菩薩が行った折伏によって(衆生を)利益するのである。 

〈背景と大意〉 「諌暁八幡抄」は弘安3年(1280年)12月、59歳の日蓮大聖人が身延で門下一同のために著された。題号には「法華経の行者を守護するという誓いを果たさない八幡大菩薩を諌め暁(さと)す」との意味が込められている。
 文永11年(1274年)に蒙古の襲来(文永の役)があり、その再来を恐れた幕府は防備体制を固めていた。そのような中の弘安3年11月、鎌倉幕府の守護神とされる八幡大菩薩を祀(まつ)った鶴岡八幡宮が炎上。人々の不安は高まっていった。
 本抄では、法華経の行者である大聖人を護らず、法華経の敵である幕府を罰しようともしない八幡大菩薩の怠慢を戒められている。そして、諸天善神であろうと仏法の敵にくみするならば、これを厳しく叱責するのは経文通りの善の振る舞いであり、八幡大菩薩が必ず法華経の行者を守護しなければならないことを説かれている。
 最後に仏法西還の原理に触れ、大聖人が打ち立てられた大法が、日本から世界へ必ず流布していくとの大確信を示されている。

●「いざ往(ゆ)かん 月氏の果(はて)まで 妙法を 拡(ひろ)むる旅に 心勇みて」
 1956年(昭和31年)に戸田第2代会長が詠んだ和歌である。
 「月氏」とはインドのこと。あれから半世紀。創価の師弟の闘争によって今、インドには6万人の地湧の連帯が燦然と輝いている。
 日蓮大聖人は今回の範囲の前半で、「日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」と述べられている。
 大聖人の仏法を「太陽(日)」、釈尊の仏法を「月」に例え、大聖人の仏法が日本から東洋へ広がっていくとの「仏法西還」の原理を示された部分である。
 「月氏の仏法の東へ流る」とは、釈尊の仏法がインドから東の中国、朝鮮半島に渡り、日本へと伝えられてきたことを指す。これを「仏法東漸(とうぜん)」ともいう。
 一方、「日本の仏法の月氏へかへる」とは、東の日本から興(おこ)った大聖人の仏法が、今度は世界を照らしていくとの御確信である。
 さらに御文では、太陽と月の“光の強弱”に約され、大聖人の仏法が「月に勝れり」と仰せになられている。
 「月は光あきらかならず在世は但八年」とは、釈尊法華経衆生を利益した期間が、わずかであったことを指す。
 それに対し、「五五百歳の長き闇を照す」と仰せの通り、大聖人の仏法こそ五の五百歳から始まる末法万年、つまり、未来永遠にわたって全民衆を照らし続ける大法だと述べられているのである。
 このように、大聖人は、必ず仏法西還、世界広宣流布は実現されるのだと宣言された。
 しかし、それは自然にそうなっていくのではない。「断じて、そうしてみせる」という、大聖人の心を継ぐ弟子の強い決意と実践があってこそ、現実のものとなっていくことを忘れてはならない。
 学会は、大聖人の仰せのままに、この大法を世界192ヵ国・地域へと広げてきた。現代において、大聖人の御予言を実現した団体こそ創価学会なのだ。

 最後に、大聖人は、この大法を世界に弘めていくための根本精神を教えられている。
 「仏は法華経謗法の者を治(じ)し給はず在世には無きゆへに」とは、釈尊の時代は、謗法の者がいなかったため、衆生の機根を整え、最後に法華経を説くことによって、人々を正法に導いていたことを示されている。
 しかし、末法は「一乗の強敵」、つまり万人成仏を説く法華経を信じられず、敵対する強敵が充満する五濁悪世である。ゆえに相手の機根にかかわらず、正義を語り抜く「折伏」が正しい仏道修行のあり方だ。大聖人は、その具体的実践として、不軽菩薩の振る舞いを挙げられたのである。
 不軽菩薩について、法華経の「常不軽菩薩品第20」には、次のように説かれている。
 ――会う人々の仏性を信じ、語りかけていった不軽菩薩は、傲慢な人々から悪口を浴びせられ、杖や棒で迫害された。それでも、決して相手を軽んじることなく、深く礼拝し続けた功徳で成仏した。不軽菩薩を軽んじた人は、一度は苦悩の底に落ちたが、法華経を聞いた縁によって救われた――と。
 池田名誉会長は、この不軽菩薩の実践を、大聖人も生涯貫かれていたことを紹介し、こう指導された。
 「『他人だけが不幸』はありえない。と同時に『自分だけが幸福』もありえない。ならば『人を幸せにする』ことが『自分が幸福になる道』です。自他共に幸福を勝ち開いていく。ここに、法華経の真髄の行動があります。これが、我らの学会精神です」
 一人一人の可能性を信じ、励ましを送り、人々を蘇生させてきた創価の運動。この地道な戦いで、広布の潮流は滔々たる大河となったのだ。
 さあ、対話の秋! 創価後継の誇りも高く、「広宣流布は私がやる」との主体者の決意で、幸福のスクラムを広げていこうではないか。
   (聖教新聞 2012-09-25)