拡大へ一人立ち 友と信頼築け

2012年11月11日(日)更新:4
【社説】
 きょう、「男子部の日」を迎えた。淵源は、1961年(昭和36年)11月5日。10万人の男子部員が東京・国立競技場に集った第10回男子部総会である。
 恩師・戸田第2代会長の逝去から3年半、池田第3代会長就任から1年半。かつて師が示した“精鋭10万結集”はこの日、愛弟子の手によって、見事に現実のものとなった。
 若き池田名誉会長は、10万の若人の雄姿を見守りながら、「私の、“室長”としての戦いは終わった」と静かに言ったという。


〈“私と共に”と力強く鼓舞〉
 さかのぼれば、青年室長への任命は7年前の54年(同29年)3月のこと。そして戸田会長が「国士訓」を発表し、“10万結集”を叫んだのは、その年の秋のことだった。
 「国士訓」にいわく、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と。
 当時の男子部員は約1万人。“10万結集”の指針はあまりに巨大であったが、池田室長はただ一人、現実の上で達成すべき目標と心に深く定めた。そして文字通り、決然と一人立ち上がり、出会った友を力強く鼓舞していった。
 ある日、室長は列車の中で、結核に悩む青年に出会った。「私のような者も、広布の役に立つのでしょうか」。青年の問い掛けに、室長はうなずいた。「私も体が弱かった。しかし師匠のもと、ひたすら戦ってきたおかげで、今日の私があります。私と共に戦おう!」
 その後、思いがけず再会。室長は覚えていた。「具合はどうですか。元気になりましたか」――。


〈皆が地域の“青年室長”たれ〉
 こうした池田室長の激励が源となり、青年は一人また一人と立ち上がった。その小さな流れが奔流となり、“精鋭10万結集”の金字塔は築かれたのである。
 偉大な広布の歴史は、出会った一人の友と信頼の絆を結び、味方にするところから始まる。時は流れ、青年の悩みは変わっても、この方程式は変わらない。
 名誉会長はつづる。「若き英雄の君よ、広宣流布の法戦にあって、わが支部の勝利の“青年室長”たれ! 同志が信頼する、わが地区の“青年室長”たれ!」
 11・5から11・18「創立の日」へ!
 全男子部員が広布拡大に総立ちになる時は、今である。
   (聖教新聞 2012-11-05)