教学 強き信心の人を諸天善神が必ず守護

2012年11月12日(月)更新:2
【池田華陽会 御書30編に学ぶ 「乙御前御消息」(2) 強き信心の人を諸天善神が必ず守護】
〈拝読範囲の大意 (御書1219ページ17行目〜1221ページ3行目)〉
 日蓮大聖人は、支えとなる夫もいない中で信心を貫く乙御前の母を最大に称賛されて、諸天善神が必ず守護することを強調されます。そして、人には同生天・同名天が付き添い守護するので、善い行いをする人が罰せられるはずがないと、乙御前の母を慈愛の心で包み込まれています。
 さらに、心が堅固な人には諸天善神の加護が強く現れることを示され、これまで以上に信心に励むよう呼び掛けられます。そして、大聖人御自身が一切の大難を乗り越えられたのは、一人であっても心が強いからであると示されます。
 また、蒙古の再襲来の恐怖に社会全体が混乱に陥っている原因は、権力者の拙さにあると指摘され、大聖人の他国侵逼難の予言が現実のものとなった以上、人々が法華経を信じるようになるに違いないと述べられ、乙御前ならびに母が大聖人の弟子として必ず成仏できることを約束されています。


《御文(1)》
 法華経は女人の御ためには暗きに・ともしび・海に船・おそろしき所には・まほりと・なるべきよし・ちかはせ給へり(中略)人には必ず二つの天・影の如くにそひて候、所謂一をば同生天と云い二をば同名天と申す左右の肩にそひて人を守護すれば、失なき者をば天もあやまつ事なし・況や善人におひてをや(御書1220ページ4行目〜9行目)

《通解》
 法華経は、女性のためには、暗い所では灯火となり、海を渡る時に船となり、恐ろしい所では守りとなることを誓っています。(中略)
 人には必ず二つの神が、影のように付き添っています。一つを同生天といい、もう一つを同名天といいます。左右の肩に付き添ってその人を守護するので、罪のない者を天が誤って罰することはありません。まして善人においてはなおさらです。


《御文(2)》
 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし(御書1220ページ9行目〜12行目)

《通解》
 それゆえ、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言っています。その人の信心が固ければ、諸天善神の守りりは必ず強い、ということです。これは、あなたのために申し上げるのです。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができません。しかし、それよりもなお一層の強盛な信心をしていきなさい。その時は、ますます十羅刹女の守護も強くなると思いなさい。


《解説 広布の地道な実践は全てが自身の福徳に》
 法華経には、全ての人を幸福にする力があります。この偉大な力を現して幸福になるための信心です。

〈御文(1)について〉
●女性にとって唯一の成仏の法門が法華経であることを教えられているのです。
 諸天は法華経の会座で、仏に向かって「末法法華経の行者を守ります」と誓いを立てています。大聖人は、この天や地に存在する諸天だけでなく、同生天・同名天が人の身から常に離れず守護していると仰せです。
 この同生天・同名天は、人が生まれた時から、左右の肩にあって、常にその善悪の行為を記録し、交互に天に報告するとされています。
 苦難の中、信心を貫き、「師匠のもとへ」との一心で遠い道のりをはせ参じた乙御前の母――大聖人は、そのけなげな志や行動は、全て天に通じているとの慈愛の励ましを送られているのです。信心に励み、広布に尽くしたことは、一つももれなく福運として積まれていくことを確信していきましょう。

〈御文(2)について〉
●諸天を揺り動かすのは、どこまでも自身の強き信心の一念なのです。
 さらに大聖人は、乙御前の母のこれまでの信心を心から称賛された上で、「今一重強盛に御志あるべし」と、これまで以上に強盛な信心を貫いていくよう教えられています。
 大事なのは“今から、ここから”という姿勢です。信心が弱くなれば、諸天善神の働きも強くなりません。反対に、掲げた目標が叶うまで祈り続ける。戦い続ける――その信心に立った時、福運に満ちた人生の軌道に入っていくことは間違いありません。
 大聖人は乙御前の母に、確固たる幸福な人生を生き抜いてもらいたいとのお心から、信心の深化を促されているのです。
 乙御前の母の心には「師と共に」との固い誓いがありました。この誓いこそが、信心を強くし、揺るぎない幸福を自身の胸中に確立する原動力となります。
 御文(2)のすぐあとで大聖人は、御自身が数々の大難に遭いながらも命が無事であったことに触れられ、“たった一人であっても心が強いからです”と仰せです。師匠である大聖人の堂々たる師子王の確信に、乙御前の母は大きな安心感に包まれたことでしょう。
 池田名誉会長は語っています。「信心『強き』女性を諸天・諸仏は『強く』守る。『真剣』の人を諸天・諸仏も『真剣』に守られる。全部、一念三千である。一念で決まる。祈りで決まる。広宣流布のための、まっすぐの行動で決まる。この大確信で、幸福に行き抜いていただきたい」


《名誉会長の講義から》
 因果の理法は厳正です。仏法の世界に、小才や要領は通用しません。地道に取り組んだことは全部、わが身の福運の果報となって戻ります。真面目に戦った人は、絶対に守られます。真剣な人は、必ず報われます。これは、私の60年余の信仰の結論です。
 大聖人は御書の随所で、目に見えない努力や誰にも知られない戦いも、必ず報われることを強調されています。(中略)
 私自身、戸田先生のものとで一切の陰の戦いをやり抜きました。苦境の先生を人知れず支えました。なかなか会合にも参加できなかった。そんな私を見て、「池田は退転だよ!」と冷淡に言い放つ幹部までいました。しかし、私には迷いはありませんでした。戸田先生をお護りすることが、広宣流布を進めることになると確信していたからです。
    ◇ ◆ ◇
 受け身や弱気の心では、諸天を動かすことはできません。“いかなる苦難があろうとも、断じて負けない。絶対に勝利してみせる”――この決定した「一念」から湧き上がる祈りと実践に、諸天善神は感応し、人々を厳として守る働きとして現れるのです。
    ◇ ◆ ◇
 たとえ、いかなる状況になっても、心が退いてしまったならば、「心の固き」とはいえません。どんなに戦ってきても退転してしまったならば、一切の功労にゼロを掛けるようなものです。(中略)
 “さあ、これからだ!”“いよいよだ!”――これが草創以来の学会精神です。「前進、前進、また前進」が、広宣流布の合言葉です。どんな逆境にも立ち向かっていく。どんなことがあっても退かない。それが「心の固き」です。
 (いずれも「勝利の経典『御書』に学ぶ」〈乙御前御消息(中)から〉)


〈理解を深めよう 心を強くする〉
 人は「悩み」をマイナスに捉えがちですが、仏法では、幸せになるための“宿命転換のチャンス”と捉えます。
 御書に「悩みや苦しみという薪を焼いて、悟りの智慧の火が目の前に現れるのである」(御書710ページ、通解)と仰せです。信心には「苦悩」を「歓喜」に、「マイナス」を「プラス」に転じていく力があるのです。
 信心を根本にすれば、あらゆる「苦悩」をバネとして、心を強くすることができます。そのために大事なのは、ありのままの心で御本尊に祈ること、そして、学会活動に挑戦していくことです。
 時には、挑戦の途中で挫けそうになり、“決意したのに”と、自分の弱さに落ち込む瞬間もあるかもしれません。しかし、どんな時も、どんな自分でも、太陽のような師匠の信頼に包まれている――それを思い出せば、力が湧きます。この決意と挑戦の連続の中で、信心を鍛え、師匠との金の思い出を積み重ねていくことができるのです。ここに、「今一重強盛に御志あるべし」との仰せにかなった実践があります。
 池田名誉会長は「女子部の皆さんは、日々の生活のなかで、社会のなかで、学会活動のなかで、自ら祈り戦いながら、具体的な体験を一つ一つ積んでいってほしいのだ。どんなことでもいい、『信心はすごいな』という実感と感謝を知ることだ。それが、何ものにも崩れぬ確信と信念の幸福の大地に変わっていく」と語っています。
 きょうも師と共に! 永遠に崩れない「心の財」を積みゆく青春を歩んでいきましょう。
   (聖教新聞 2012-11-06)