社会を照らす対話と共生の哲学に学べ

2012年11月17日(土)更新:5
寸鉄
●人類の未来の為にSGIから対話の姿勢を学べ――識者(マレーシア)。共生時代の最先端
   (聖教新聞 2012-11-09、以下も)


【第7回 池田思想国際学術シンポジウムから(下)】
《湖南師範大学 冉毅(ぜんき)教授 慈悲の実践の意義を提示》
現代社会の最大の問題は、人々が生きる意味を見失っていることにある、と池田先生は指摘する。
 なぜ生きるのか、人間とは何か、何のために生きるのか。その意義を渇望しているのだ――と。
 世界では、価値の基準が多元化している。個人的なもの、社会体制に依処したものなど、さまざまである。その中で先生は、生命を基準としていかなければならないと主張する。人間の生命には、何ものにも代えられない尊厳があることを訴えている。
 人々の間には多くの差異が存在する。しかし生命だけは、誰もが等しく共有している。生命は誰にも譲ることができない。
 人間の生命は、永遠なる“宇宙生命”の一部であるからこそ、生命は尊厳なるものであると言える。だからこそ、最高の価値基準なのである。
 生命を擁護することが価値の創造につながる。それによって人間の生命と“宇宙生命”、あるいは宇宙の現象の背後にある“究極の存在”は一体となることができるのだ。
 その意味で価値創造とは、「慈悲」の精神をもって、「利他」の実践をすることに他ならない。先生は仏教の人間論の観点から、そのことを説いた。そして利他の実践こそ、価値を置くべきものだと語っているのである。
 先生は、「慈悲」と「勇気」と「智慧」を互いに体系立てて論じている。つまり、慈悲に勇気がなければ、心の中に抱いている愛の感情を、行動に移すことはできない。そうであれば、慈愛はただの観念の産物となってしまう。こうした状況は現実社会において非常に多く見られる。
 一方で、慈悲に智慧が伴わなければ、慈愛といっても、実の伴わない漠然とした愛になってしまうだろう。
 智慧と勇気が相互に関連する、仏法が説く「慈悲」――その実践を、先生は現代に示しているのである。


武漢大学 徐水生(じょすいせい)教授 古代の智慧を現代に蘇生》
●先生は『論語』や『中庸』といった経書のみならず、『三国志』などの文学作品にも通じている。さらに中国の「五常(ごじょう)」の現代的意義が、21世紀の新たな指標になりうると指摘している。
 五常とは儒教で、人が規範とすべき「仁、義、礼、智、信」のことである。「仁」とは古代における人間主張の原則。「義」は社会の道徳に則った行動規範。「礼」は壮長さや謙虚さといった礼儀を指す。「智」は人間の聡明さや智慧であり、学を重んじること。「信」は言葉を守り、人を欺かないことを言う。
 池田先生は訴える。「仁」はヒューマニズム・人道への目覚め、「義」はエゴイズムの克服、「礼」は他者への敬意、「智」は創造の泉、「信」は誠実さである、と。
 五常とは、普遍的な道徳意識・規範であると言えよう。
 今、世界ではグローバル化が進む一方、利己主義が横行し、環境問題の深刻化や、国際紛争が絶えない。
 そうした中で、先生は、世界平和の道を開く鍵となる五常が、個人の次元にとどまらず、国家間、民族間の往来にも重要な意義を持ち、現代文明の精神資源になることを熟知している。 先生は人間の生き方を考えるに当たり、中国古代の智慧が持つ現代的な意義に注目している。
 その分野における先生の思想は、「人は、いかにして生きていくべきか」という重大な問題への答えを示している。
 先生の人生論、教育論、政治論もまた、この人間の生き方というテーマから展開されていると見ることができよう。


《アモイ大学 しょうしゅんきん副教授 未来を志向する平和理念》
●池田先生の平和観は以下の3点によって形成されている。
 一つ目は、創価学会の牧口初代会長並びに戸田第2代会長の教育・反戦思想である。
 牧口初代会長は、教育が国家政策の道具となることに反対し、独自の教育哲学から「価値創造」の理念を提唱した。戸田第2代会長は、原水爆禁止宣言を行うなど、人類の生存を脅かす核兵器の廃絶を訴えた。
 二つ目は、個人の体験である。先生は第2次世界大戦によって混乱と生活苦を経験し、さらには家族を失った。戦後、社会貢献活動に参加し、世界平和実現への信念を固めていったのである。
 三つ目は、生命尊厳の思想である。先生は、一切の暴力と戦争は生命を破壊するものであると認識している。平和こそ、何ものにも増して優先されるべきものであるとの心である。
 先生は、平和とは戦争の有無の問題ではなく、「暴力の根絶」にあると主張する。
 そして平和実現の鍵は、一人一人が「人間革命」を通して生命への思いやりを養うことであり、そこに宗教や教育の存在意義があると訴えている。
 先生の思想における教育の目的は、人類の幸福であり、世界平和である。
 教育については知識の伝達とともに、英知や知恵の啓発、健全な人格形成、精神の感化などの重要性を指摘する。さらに家庭、学校、社会の三位一体の体制を強調している。
 恒久平和を志向する先生の理念は、中国の教育事業の発展、未来に対して、重要な意義を有している。


紹興(しょうこう)文理学院 卓光平(たくこうへい)講師 魯迅の改革精神の継承者》
魯迅は文学を通した人民の精神の変革に一生を捧げた。そのきっかけは、日本留学時代に見たスライドである。
 それは、日露戦争中に中国人がロシア軍のスパイとして首をはねられる様子を、中国の群衆がまるで感覚がまひしたかのように眺めているという内容であった。
 これを機に魯迅は、“最初に果たすべき任務は、彼らの精神を改造することだ”と考え、その方途として文芸運動に身を投じた。
 池田先生は魯迅文学を「人間革命」の文学と称する。
 そして先生の「人間革命」の理念こそ、魯迅の「国民性の改造」の思想を継承していることは明らかである。
魯迅は、北京大学をはじめ数々の教育機関で教鞭をとり、亡くなる直前にも青年芸術家の木刻展覧会に赴くなど、若者の育成に心血を注いでいた。
 先生も同様に、休む間もなく青年の成長に尽力している。先生にとって、魯迅の精神改革の思想に相通じる「人間革命」とは、永遠に続けられるべき闘争なのである。


《米デポール大学 グーラー助教 多文化教育の新しいモデル》
●スイスの教育思想家ペスタロッチは、子どもの幸福は教師の幸福であり、子どもの喜びは教師の喜びであると述べている。
 しかし、博士は、それだけにとどまらず、「影響」と「成長」という二つのベクトルで教師と子どもの関係を論じている。
 特に、「両者の成長」こそ博士の教育思想のキーワードである。
 人間教育による相互の成長を通じた創造的共存こそ、21世紀における多文化教育に必要なものである。その要素を、博士と中国教育学会の顧明遠会長との対談集『平和の架け橋――人間教育を語る』に見ることができる。また、1968年に発表された「日中国交正常化提言」の中にも発見できる。
 アメリカでは、多文化教育について、多くの議論が重ねられてきたが、実際の進歩は、ほとんどない。
 しかし、自他共の成長を促す博士の人間教育、共生、共育の概念を深く理解していくならば、多文化教育の新しいモデルが生まれるに違いない。


遼寧(りょうねい)師範大学 朱俊華副(しゅしゅんか)教授 生命を啓発する児童文学》
●池田先生の児童文学が促す三つの「成長」に注目したい。
 一つ目は、知的成長である。『さばくの宝の城』では中国・敦煌が舞台となっているように、それらは世界に対する知識と視野を広げるものである。
 二つ目は、人格的な成長である。他者の幸福に尽くす人こそ偉大である、とのメッセージが込められた『二人の王子さま』など、子どもの人格形成に大きな影響を与える内容となっている。
 三つ目は、美的感覚の成長である。『ほしのゆうえんち』における宇宙の描写をはじめ、自然と生命への愛を育てる表現は、子どもの芸術的感性を高めるものである。
 先生の作品の特長は智者との触れ合いや厳しい環境など、主人公に必要な成長の条件を示している点にもある。特筆すべきは、説教ではなく、主人公を一歩ずつ啓発する教育姿勢である。
 以上の特質は、先生の生命哲学と不可分の関係にある。先生は一貫して生命の尊厳を主張し、それぞれの生命が持つ個性、並びに内在的な力に着目している。ゆえに先生の作品に登場する多様な性格の子どもたちは健やかに成長するのである。
 先生の作品からは、教育方法についても、3点にわたって学ぶことができる。
 (1)励ましの言葉によって、苦難を乗り越える勇気を育む(2)適切な教育環境を作り、具体的な問題解決の実践を通して鍛錬する。(3)愛情と期待をもって、子どもたちの成長を辛抱強く待つ、である。
 先生の児童文学の数々は、教育的に優れた触発をもたらすものである。