寸鉄・キャンパスアカデミックナビ・「震災学」の試み

2012年11月21日(水)更新:2
【わが友に贈る】
 信心とは無限の成長!
 一日一日が前進だ。
 自分自身に勝ち 栄光の創立記念日へ 黄金の歴史を綴れ!
   (聖教新聞 2012-11-13、以下同)


寸鉄
●世界を良くしようとする創価の若き熱と力に感銘―学長(カナダ)。君こそ社会の柱
●正義の「徳島の日」万歳!楽しく対話と友情拡大。皆が青年の心意気で躍進
●勇気は如何なることでも成し遂げる―詩人(パイロン)。信心は究極の勇気。祈り強く
●各地で「女子部の日(11・12)」記念大会。花の如く!列島に輝く希望と幸福の大連帯(スクラム
●来年度から「いじめ対応」教諭配置へ。地域一体で取組更に。根絶へ総力を


【キャンパスアカデミックナビ〈20〉 公認会計士・税理士資格は社会をリードする“正義の剣” 創価大学 経営学部】
《卒業生に聞く 税理士として後輩の道を開く 力を生かし人に尽くす喜び》
●大学1年の創大祭で、創立者・池田先生の“迫害と人生”の講演を聴き、何度も読み返すなかで、社会に正義を打ち立てる力をつけよう、後輩の道を開こうと決意したことが原点です。創立者に税理士試験の合格を報告した際も本当に喜ばれ激励してくださいました。正しい人が、また、正しいものが正しく評価される社会をつくるために、目の前の一人に誠実に尽くしていこう!――これが今も変わらぬ思いです。
●あらゆる職種の人々と関われるチャンスがあり、自分の力を直接、人のために役立てることができる。税理士は本当に“やりがい”のある仕事です。しかし、真に人に尽くすには、力がなければいけません。存分に勉強して、自分の行動を通して創価の哲学を広げる一人一人に成長してほしいと思います。


《担当教員が語る 創立者が示す「全体人間」を育成 要件は「豊潤な感受性」「明晰な知性」「強靭な意志力」》
公認会計士や税理士は、社会を変革し、弱者の側に立って力を発揮する職業です。企業の不祥事や業績不振の要因などを断ち切っていける、そんな“正義の剣=実力”を学生につかんでもらいたいのです。
 創大の経営学教育、会計学教育が目指すのは、社会に価値を創造しゆく「全体人間」の育成です。創立者・池田先生は、その要素として「豊潤なる感受性」「明晰な知性」「強靭な意志力、精神力」を掲げられています。
 自らの感動を周りの人々に与えられる。人の心の痛みが分かる――感受性は他者のために働ける人間の要件です。そのためには頭脳明晰で判断力・問題発見能力に優れていることが必要です。なにより、厳しさを増す社会状況に立ち向かう精神力こそ必須であり、皆から信頼されるリーダーの要件でもありましょう。
 こうした要素を、現実社会に即した学問のなかで培っていくのが経営学部の大きな特徴です。


【文化 いま何が問われているのか 「震災学」の試み 今夏、創刊号を発刊――“経験の記述”と“反省の知”重ね 佐々木俊三】
〈覆い隠される現実〉
 被災地では、この1年有半の間に避難所はその役割を終え、家族や住居を失った人々も、市や行政が用意した仮設住宅、借り上げ住宅(みなし仮設)での生活へと移行しています。東日本大震災は過去の出来事へと遠ざけられ、かつての生活を奪われた人々の現在の苦しみは覆い隠され、現実としての被災者の姿は徐々に見えなくなっていきました。
 一方、政治家や識者を含めた多くの人々が全国から被災地を訪れ、支援を行っていただきましたが、震災以前から被災地域を知る私たちの目には、支援者と支援を受ける人々の間には、どこかボタンの掛け違いのような意識のずれが散見されるようになっていたのも事実でした。
 忘れ去られる震災の経験、置き去りにされる人々の言葉――その現実を目の前にし、直接的な対応ではない長期的な視点に立って、被災地との関わりの仕方を考えるべきではないかとの反省が生まれていました。
 私たちには被災地の人々が負った深い傷、重い衝撃そのものを消し去ることはできません。しかし、その痛み、苦しみを感じ、共に考える仕方はあるのかもしれない。そうであるならば、そこに学問の存在意義もあるのではないか。共に感じ、共に考える姿勢を掬い取るものとしての学問です。
 そうした学問があるとすれば、それは問いかけの仕方によってしか可能でありません。「私たちが経験した震災とは何だったのか」「あのとき何が起こったのか」――それを生活の基盤に立って問いかける学問の倫理性が問われていると思います。

〈人々の沈黙に応答〉
 被災地の人々を、“記憶の痛み”が繰り返し襲います。生命の限界に直面した時の記憶、さらには、亡くなった人々と別れ、自らが今ここに生き延びている現実が、被災地の人々には重くのしかかっています。一生かけても消し去ることのできない記憶、それは、容易に人には語れない記憶でもあります。
 しかし、そこで佇むわけにはいきません。人々の沈黙に何らかの応答を試み、その深い現実を伝えていく媒介者としての役割が私たちにはあるのではないでしょうか。語ることのできない記憶を人々が自ら語ることが可能となるには、長い時間と待つ忍耐とが必要とされるでしょう。
 亡くなった家族について、知人と語らい、悼み、それでも生きていく、と――その長い過程のなかで人々は少しずつ語り始めます。それが修復の第一歩であり、“喪の作業”です。人々は、亡くなった方々と折り合いをつけるように語り合う、そんな環境と時間を必要としているのです。そうした時間を共有することで、私たちは人々の痛みに応答していくことができるのではないでしょうか。『震災学』が目指す“経験の記述”とは、そのような時間を要する作業であると覚悟しています。
 震災は、私たちが現代社会で生活するなか忘れ去っていた「生きる」姿形を露呈しました。システムがいったん崩壊すると、大惨事を引き起こす原子力発電所に象徴される、そんな社会基盤に支えられていた私たちは、果たしてこの惨事に対する心の準備ができていたのでしょうか。それでも生き延びていくことへの覚悟を私たちは持っていたのでしょうか。
 教育に携わる者として、深い反省にかられます。『震災学』は、この“反省の知”を積み重ねる作業でもあります。そこには現代社会を根本から見直す地点に立つことなくして解決できない課題が横たわっています。長い射程を必要とすること、それは人々が生きて来た場所(トポス)を根底から考え直し、教育に生かしていくことにあるでしょう。

〈可能性広げた学生ボランティア 社会を改革する重要な指標に 他者と共に生きる〉
 こうして震災後1年半をへて創刊した『震災学』は、大状況でとらえた震災の様相とともに、ミクロの現状に焦点を当てています。創刊号では、「唐桑(からくわ)の漁業と災害」に一章を割きました。震災以前から私たちを受け入れていただいた気仙沼に研究の一つの定点を置き、恒常的に深く掘り起こすなかにしか、人々がその地でどう生き、震災を経験したのか、人々の魂に迫り理解することはできないと考えるからです。
 また、被災地の現実は、さまざまな手法で伝えられました。しかし、今回の震災で、メディアはどのような対応をしたのか、善悪両面を含めて検証する必要もありました。“反省の知”という視点から、私たちが当たり前とし、前提としていた報道の在り方にも鋭く切り込んでいます。
 さらに、被災地の支援に大きな力を発揮したボランティアにも焦点を当てました。東北学院大学は、震災直後から学生約2000人がボランティアとして活動を始め、その後も各地の大学からの支援を受け入れるステーションとして機能しました。その結果、学生ボランティアの可能性を大きく広げることになったのです。
 災害が頻発する社会のなかで、新たな勢力としての学生ボランティアに期待するとともに、私は学生ボランティアは社会を改革し、創造する重要なメルクマール(指標)になると感じています。そこに出現する可能性と課題を明らかにすることは、日本の将来を展望する点からも重要でしょう。
 震災後、現出した過去の反省から、未来に対し私たちはどう生きていくのかが、今、問われています。人は他者を通しておのれを実現していきます。そうであれば、私たちは共に生きていく固有な他者を見いださなければなりません。その他者とは、あの震災を経験し、その小さな町や村で長くて古い歴史を抱えながら生きてきた人々の魂ではないでしょうか。その魂が呼びかける声に応答することのうちにこそ、未来をどう生き、新しい社会を築いていくための“知”が生まれると私は思っています。(東北学院大学副学長)