教育の本義は価値の創造と社会の繁栄に

2012年11月25日(日)更新:3
【世界の知性は語る カナダ・ラバル大学 サージ・タルボット教授 新しき人間主義ヒューマニズム)開く創価の思想】
《牧口初代会長の学説の先見性》
 ――創価教育学の真髄は価値の創造にあります。博士は、この点をどう評価されますか。また、価値の創造は、どのようなプロセス(過程)によって行われるとお考えでしょうか。
 タルボット博士 私は、教育の目的は価値の創造にあると信ずる一人です。ゆえに、牧口初代会長の教育思想に、全面的な賛意を寄せるものです。同時に、その思想が20世紀前半の日本で生まれた先見性を、高く評価したいと思います。
 とりわけ私は、初代会長が子どもたちに、行動的であれ、自らの責任に立て、と呼び掛けていることに注目します。なぜならば、教師は学生に代わって学ぶことはできないからです。学生は外から知識を与えられるだけの、受動的な存在ではなく、主体的に学びゆく存在なのです。そこにおいて教師の役割は、学生たちに学びの心、すなわち学習への関心と意欲を啓発することにあるのです。
 従来の日本的な思想と文化の風土では、こうした教育思想は育ちにくい、とのイメージを私は持っておりました。それだけに、創造の思想に接した時の驚きは新鮮でした。
 次に、教育において、価値の創造がどのような位置を占めるかについて、より具体的にお話ししたいと思います。私は、教育には三つの柱が存在する、と考えております。ものごとについて「どう考えるか」「どう学ぶか」「どう創造するか」の三つです。そのなかでも最重要の柱となるのが、価値の創造です。ゆえに私は、その価値創造を主軸としながら、他の二つの要素を統合し、重厚な教育思想として体系化した牧口初代会長に高い評価を寄せるのです。
 さらに、価値創造のプロセスについて言えば、まず、価値の創造は一人では行うことができないことを知るべきです。もちろん、私たちは、一人で考えたり、内省したりすることはできます。しかし、真の価値の創造は、人と人との交流の中で行われるものなのです。
 その意味でも大切なのは、異なる価値観を持つ人々との交流です。私たちは、異なる思想を持つ人々の声に耳を傾けていかねばなりません。それを通して他人を知り、他人に学ぶ中で、新たな社会的価値を創造することができるのです。
 ――人生や、ものごとの新たな意味を発見することも、また、価値の創造への大切なプロセスとなりますね。
 博士 まったく同感です。実際、私は教育における意味の探求を重視しております。とりわけ、人間として生きることの意味を問い掛け、探りつづけていくことは重要です。私たちは、そのための労苦を、決して惜しんではなりません。人生の価値は、容易に手に入れることなど、できないのです。逆に、学びの労苦を通して、私たちは世の中のありようを深く知ることができるのです。それを知った時、労苦は真の喜びへと昇華されていくのです。


平和教育へのSGI会長の挑戦》
 ――教育者を中心として発展した創価学会創価教育学会)は、その革新的な思想ゆえに軍部権力の弾圧を受け、初代会長は獄死しました。戦後、創価学会は戸田第2代会長、池田第3代会長の指導のもと、創価の思想を学校教育のみならず、民衆の教育と啓発の源として、広く社会に実践、展開していくようになりました。その主軸となるのが、人間一人一人の可能性を発見し、開発し、社会に貢献しゆく、人間革命の思想と実践です。
 博士 実に重要な偉功(いこう)であったといえます。全ての人間に価値創造の光を当て、自立と創造にあふれた人生の源としていく――そこにこそ、新しきヒューマニズムの運動の真価があります。
 そうした人間教育に根差した、日々の価値創造の実践を、よりよき社会の建設へと向けていくところに、創価学会の歴史と実践の真髄もある、と私は見ております。
 それと対照して思い起こされるのは、アメリカで起きた9・11同時多発テロ(2001年)」です。衝撃を受けたアメリカは、テロとの闘いを宣言し、そのための多大な犠牲や出費を強いられました。
 しかし私は、こうしたテロや暴力の連鎖を断ち切るためにこそ、異なる思想と文化を理解しあう教育が必須であると考えるのです。また、そうした教育のためには、いかなる出費も厭わぬ、との決意こそが、真の平和と安定を築くために不可欠である、と考えるのです。
 その意味からも、私は、平和の教育のために、さまざまな献身の行動をされる池田SGI創価学会インタナショナル)会長の挑戦を高く評価するのです。もちろんそれは、多くの困難を要する作業であり、闘いであります。
 SGI会長も示されるように、教育の真義はプロセスにあります。あらゆる困難に立ち向かいながら、どこまでも深化の歩みを止めることのない、高貴にして厳粛な道程なのです。そこにこそ、教育の王道は光り輝くのです。


《三代の偉大な人格の模範に学べ》
 ――最良の教育の一つは、模範を通して教える、あるいは模範に学ぶことにある、といわれます。私たちSGIのメンバーは、池田SGI会長の模範の姿に学び、自らを磨き高め、創造の人生を目指しております。
 博士 模範に学ぶことは、重要な教育のあり方の一つです。そうした模範の存在を、私たちはロールモデル(手本)と呼びます。それに関して私に深い影響を与えたのは、かつてノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ氏との出会いです。
 当大学では30年ほど前、テレサ氏を卒業式に招き、名誉博士号を贈りました。その折、氏は、実に簡潔で明快な受賞のスピーチを行いました。
 「皆さんは、インドで貧困に苦しむ私の同胞をあわれみ、経済的に支援しようなどと考えなくて結構です。まず、貴国で苦しむ隣人に目を向けてください。そこでなによりも大切なのは、まず、そうした隣人に笑顔を向けることです。そのうえで、必要かつ最小限の経済的な支援を送ることです」と。
 人々の救済のための、自らの苦闘の体験に基づいた英知の言葉に、千鈞の重みを感じました。
 ――貴大学は2010年の5月、池田SGI会長に名誉教育学博士号を授与しました。式典のため訪日したブリエール学長は、「人間のあるべき価値を体現し、それを通して社会貢献を果たした偉大な人物」と、SGI会長の自績を評価しておられました。
 博士 残念ながら私は、式典に同席することができませんでしたが、帰国した学長から、SGI会長との心温まる交流の様子を聞きました。私自身、会長の平和の軌跡を紹介する写真集を通して、その温かな人間性に触れることができました。とりわけ心に染みたのは、会長の笑顔です。
 社会的な指導者は、写真に向かって笑顔を繕い、人々に好印象を与えようとする傾向があります。しかし、会長の笑顔は、カメラにではなく、その時、その場に居あわせた人々に向けられた、何の繕いもない慈愛のまなざしに満ちたものであることに、心打たれたのです。
 同時に私は、会長の、簡潔にして明快な思想にも共感を覚えます。
 その、慈悲の発露としての笑顔と、簡潔な思想に裏打ちされた偉大な人格にこそ、創価学会の三代の会長に共通する精神の源がある、と私はたたえたいのです。
   (聖教新聞 2012-11-25)