教学 大聖人直結こそ学会の魂

2012年11月27日(火)更新:1
【12月度 男子部「御書活動者会」研鑽のために 日興遺誡置文 勇気で語り抜け!立正安国のために】
〈背景と大意〉
 「日興遺誡置文」は元弘3年(1333年)、日蓮大聖人の不二の弟子である日興上人が、88歳で亡くなる直前に残されたものと伝わっている。前書きと26の条文、後書きで構成される御遺誡(=後世のために残した遺訓)である。
 前書きでは、「ひとえに広宣流布せよとの日蓮大聖人の御言葉を仰ぐため」(御書1617ページ、通解)と、26カ条を定めた理由をあげている。また、各条文にあっては、師弟の精神、門下が実践すべき「信行学」の基本、広宣流布のための根本となる原則を記している。
 そして後書きで「このうち1カ条でも犯す者は、日興の門流ではない」(同1619ページ、同)と厳命され、広宣流布の永遠の前進を、弟子に託されている。


《御文》
 五人の立義(りゅうぎ)一一(いちいち)に先師の御弘通に違(い)する事 (御書1617ページ)

〈通解〉
 五人の立てた教義は、一つ一つ、先師・日蓮大聖人の御化導に相違している。

 日蓮大聖人は、御入滅の直前、日興上人をはじめ、日昭(にっしょう)・日朗(にちろう)・日向(にこう)・日頂(にっちょう)・日持(にちじ)の6人を「本弟子」と定められた。
 大聖人の御入滅後、日興上人は師の仰せのままに、命を賭して立正安国の実現へ戦われた。「立正安国論」とともに数度にわたって鎌倉幕府に提出した申状(もうしじょう)では、「日蓮聖人の弟子 日興」と宣言され、大聖人の主張通りに堂々と諫暁を行われている。
 これに対して、日興上人以外の「五老僧」は権力による迫害を恐れ、自らを「天台沙門」(天台宗の僧)と名乗った(御書1601ページ、趣意)。さらに釈迦像を本尊としたり、神社への参詣を容認したりと、大聖人の教えに違背し、謗法を犯すに至ったのである。
 なぜ、五老僧は師敵対してしまったのか。それは臆病や保身とともに、大聖人の法門への理解が浅かったことが原因といえよう。
 日興上人が、大聖人を一切衆生を照らしゆく末法の御本仏として仰がれたのに対し、五老僧は、大聖人をあくまで天台・伝教大師の余流(よりゅう)をくむ存在としてしか捉えていなかった。要するに「師匠の真意」「師匠の本当の偉大さ」が分からなかったのである。


《御文》
 当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝(しでん)して若し間(ひま)有(あ)らば台家(たいけ)を聞く可き事 (御書1618ページ)

〈通解〉
 わが門流においては、御書を心肝に染め、極理を師から受け伝えて、そのうえで、もしも暇(いとま)があるならば、天台の法門を学ぶべきである。

 日興上人は大聖人のお手紙や御述作を「御書」という尊称で呼ばれ、収集や書写に尽力された。また門下に対しても、御書講義を行われた。遺誡置文でも「御書根本」を繰り返し訴えておられる。
 「富士一跡門徒存知の事」には、これとは対照的に五老僧が、庶民のために大聖人が書かれた仮名交じりのお手紙を「先師の恥辱」(御書1604ページ)として、すき返したり、焼却するなどしたことが示されている。
 この遺誡置文の条文で、日興上人が天台の法門に言及されているのは、当時の門下に“まず天台を学び、その上で大聖人の教学に臨む”という風潮があったためであるとされている。
 「御書軽視」の姿勢は宗門も同じである。戦時中、宗門は軍部権力の弾圧を恐れ、国家神道と衝突しそうな御書の御文を14カ所も削除。御書全集の発刊禁止の院達(いんたつ)まで出している。
 これに対し、牧口初代会長、戸田第2代会長は戦時中も弾圧に屈せず、御書の通りの不惜身命の実践を貫いた。昭和27年(1952年)には、戸田会長の発願で『日蓮大聖人御書全集』が発刊。現在、御書は海外の10言語以上で翻訳・出版され、仏法の人間主義は世界に広がっている。
 どこまでも「御書根本」で進む。「大聖人の仰せ通りに」戦う。これが学会の誇り高き伝統である。


《御文》
 未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事 (御書1618ページ)

〈通解〉
 未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである。

 この条文は、日蓮大聖人・日興上人門下にとって万代にわたって順守すべき重要な御遺誡といえよう。
 大聖人は「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せの通り、一切衆生の救済を願われ、広宣流布のために生涯を捧げられた。
 ゆえにその心を継ぐ日興上人は、門下たちに不惜身命の精神で妙法弘通に励むよう、望まれたのである。
 「随力弘通」とあるように、自身の持てる力を全て発揮して広布を前進させていくことこそ肝要である。
 知識があるかないか、話がうまいか下手かではない。
 自分の言葉で、自分の力の限り、真剣に、誠実に語り抜いていけばいいのである。
 池田名誉会長は、この条文に触れて語った。
 「広宣流布の大願へ、身命を惜しまず、正義を叫ぶ。ただただ、師の仰せの通りに戦い抜く――。これが、学会の永遠の魂である」
 さあ、いよいよ「弟子の闘争」の本舞台だ。われらは不二の弟子・日興上人のごとく、「立正安国」の旗を掲げて正義の対話に挑み、「青年学会」の勝利を開きゆこうではないか!


日顕宗を破す 極悪を打ち破ってこそ極善》
●なぜわれらは日顕宗と戦い続けるのか。それは彼らが今もなお、日蓮大聖人の御精神に違背し、庶民を欺き、信徒を食い物にしているからだ。
 日顕宗は、御書にはない数々の大邪義を振りかざしてきた。その最たるものが“法主が現代における大聖人”などという荒唐無稽な「法主本仏論」である。
 さらに日顕は、醜い嫉妬の心に狂い、800万信徒の赤誠によって建立された正本堂を破壊。私自身、その無残な姿を目の当たりにし、“宗教の指導的立場にある者がすることか!”と怒りに震えた。
 「日興遺誡置文」には「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618ページ)とある。仏法に違背する邪義を構えた日顕宗を破折することは、大聖人・日興上人の御精神にかなう実践にほかならないのだ。
 「極悪」を打ち破ってこそ「極善」――これが、師に「正義」の人生を誓った静岡男子部の信念である。


〈行学の最前線〉
●本年8月、部長に就任した上野さんは、「軍(いくさ)には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」(御書1219ページ)との一節を胸に刻み、日々、個人指導に走る。
   (聖教新聞 2012-11-27)