介護 こころの絆

2012年11月28日(水)更新:3
【介護 こころの絆 読者の体験談】
〈人生の最終章を幸せに〉
●当初は、汚れたおむつを勝手に脱いで散らかす義母を叱りましたが、何で叱られているのかも分からないことに気付き、叱った自分を責めたりしました。
 そして、やり場のない気持ちになり、“やっぱり、一緒に勤行から始めよう”と思ったのです。無理かもしれないと思いましたが、毎朝、義母と朝の勤行を始めました。
 義母は入院以来、勤行をしていませんでしたが、再開して3日目くらいから大きな声でできるようになりました。
 今では「何でも祈ろうね」と2人で祈っていますが、不思議なことに、家族を困らせるような行動が減っています。
 自分の子どもである夫のことも、何もかも忘れている義母――深々と頭を下げて言う「ありがとう」の姿に、“義母の人生の最終章が幸せであるように”と、祈る私です。


〈生活の知恵を学び成長〉
●さまざまな方の世話をして、すでに旅立たれた方も多数。全ての方との出会いが“金の思い出”です。
 102歳のおばあさんからは「訪問する家は“宝の山”だと思い、全部、自分の肥やしにしなさいよ」と。人々の生活の知恵を学んで成長しなさい、という温かい励ましです。


〈デイサービスを楽しむ〉
●5月のある朝、母を起こそうとしても反応がありません。「朝、家族が見たら死んでいた、というように死にたい」――母は、生前に述べていたように旅立ちました。
 亡くなる前日まで、私が足をさすると気持ちがよいことを拍手で示した母。2日前には姉夫婦が「母の日」のカーネーションを持って訪れ、皆で祝いました。
 母の介護に関わってくれた、全ての人に感謝しています。


〈祖母の姿に後継を誓う〉
●でも父は一貫して、祖母のどんな作り話にも、「ばあちゃんの言っていることは正しいから、『はい!おっしゃる通りです』と、笑って返事をしたらいい」と言っていました。
 当時の私は、その意味が分かりませんでしたが、今はよく分かるようになりました。


〈一緒に生まれ故郷へ〉
●義母が施設に入居した当初、私は「生かされているだけなのでは……」と思いましたが、介護を通し、人の“心の声”を聞くことの大切さを学びました。
   (聖教新聞 2012-11-28)