教学 師に続き「二陣三陣」と広布へ

2013年1月8日(火)更新:6
【1月度 座談会拝読御書「種種御振舞御書」(御書911ページ1行目〜3行目)に学ぶ 民衆救済の未曾有の大法を流布】
〈拝読御文〉
 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし

●拝読御文の前段で日蓮大聖人は次のように仰せです。
 釈尊が亡くなられた後、2220年余りの間、迦葉・阿難ら、馬鳴・竜樹ら、南岳・天台ら、妙楽・伝教らでさえ、弘めることがなかった法華経の肝心であり、諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に広まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである、と。
 末法広宣流布の戦いを、ただ一人から起こされたのが大聖人です。その闘争は、大聖人と広宣流布の志を同じくする弟子・門下の後継の実践があって初めて、未来にまで受け継がれていきます。
 広宣流布とは、末法万年にわたり、しかも一閻浮提、すなわち全世界の人々を救いゆくものです。そのためには、大聖人の精神と実践を受け継ぐ弟子が、絶え間なく続いていかなくてはならないのです。
 ゆえに、大聖人は拝読御文で、わが一門の者たちは、二陣、三陣と続いていきなさいと述べられています。しかも、迦葉や阿難にも勝れ、天台や伝教をも超えなさいと仰せです。
 迦葉・阿難は、釈尊の滅後に正法を伝持した弟子です。また、天台、伝教は、それぞれ中国と日本で法華経を宣揚した正師です。そうした人々でさえ弘めることのなかった南無妙法蓮華経を弘め始められたのが大聖人でした。そして、大聖人の御精神のままに世界広宣流布を現実のものとしたのが創価学会です。
 大聖人門下として、私たちが未曾有の仏法を弘めゆく誇りと、その使命の尊さを心に刻みましょう。


〈拝読御文〉
 わづかの小島のぬしら(主等)がをど(威嚇)さんを・をぢては閻魔王のせめ(責)をばいかんがすべき、仏の御使(おんつかい)と・なのりながら・をく(臆)せんは無下の人人なりと申しふくめぬ

●ここでは難に臆することなく広宣流布を進めゆくこと、また「仏の御使」として勇敢な広布の実践を貫くことを門下に教えられています。
 大聖人が大難との闘争を通して示されたのは、命に代えても正法を断じて守り抜く不惜身命の姿でした。
 その実践を手本とすれば、私たちが根本とし、どこまでも貫くべきは、不惜身命の精神で難に立ち向かう信心です。
 ゆえに、大聖人は、わずかばかりの小島である日本の国主の脅しにおじけづいてはいけない、「仏の御使」であると名乗りをあげておきながら臆してはならないと教えられているのです。
 広宣流布とは、勇気の闘争の異名です。創価学会の三代の会長は大聖人の御精神を現代によみがえらせ、世界広布の大道を勇敢に開いてきました。創価学会員として広布に進む私たちこそ、「仏の御使」です。
 「青年学会 勝利の年」、そして総本部完成の意義深き本年の活動に、勇敢に出発していこうではありませんか。


《名誉会長の指針から》
 大聖人は、大聖人門下の「無上の誉れ」を高らかに宣言されています。
 すなわち――仏の滅後、いまだ誰も弘めたことのない「法華経の肝心」「諸仏の眼目」である南無妙法蓮華経の大法を、全世界に弘めゆく先陣を日蓮が切ったのだと。
 末法の闇夜に、元初の太陽が登ったのです。その大光に、世界の全ての人々が包まれていくのです。大聖人門下の私たちは、迦葉・阿難、天台・伝教ら大学者たちの後ろに「ついていく」のではない、彼らを凌駕し「超えていく」存在だと仰せです。何と誉れ高き一人一人でしょうか!(中略)
 「わづかの小島のぬしら」の権力の脅しにも臆してはならない、と大聖人は仰せです。
 私たちは師子です。学会は師子の陣列で、厳然と進みましょう。 (「勝利の経典『御書』に学ぶ」、2012年4月号「大白蓮華」)
   ◇ ◆ ◇
 「世界広宣流布」は御本仏の仏意仏勅である。大聖人はその壮大な使命を、後に続く門下に託された。「種種御振舞御書」には次のように述べられている。
 「わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書911ページ)――わが門下よ、二陣三陣と私に続き、インドの迦葉・阿難にもすぐれ、中国の天台、日本の伝教をも超えなさい――。
 これは竜の口の法難を前に、緊迫した状況のなか、門下を激励されたお言葉である。“後継の人々”に対する大聖人の御期待は、初めから世界的スケールで語られていた。仏教史に、また人類史に燦然と光を放つインドの釈尊十大弟子たち、中国の南岳・天台、日本の伝教、それらを超える存在たれ、と。
 (中略)
 この御文の前には、妙法蓮華経の五字を、釈尊滅後、だれ人も弘めなかったとされ、「末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(同910ページ)――末法のはじめに全世界に必ず弘まっていく瑞相として、日蓮は先駆を切った――と、堂々と述べておられる。
 全世界への妙法流布――その先陣に続け!と大聖人は叫ばれた。そして世界に不朽の功績を残せ!と。
 そのとおり実践したのは、ただ創価学会である。(『池田大作全集』第77巻)


〈拝読の参考 「仏の御使(おんつかい)」〉
●「仏の御使」とは、この偉大な釈尊の精神と実践を正しく受け継ぐ弟子にほかなりません。
 大聖人の御在世の当時、諸宗が乱立する中で、大聖人は何が釈尊の真意かを明らかにし、万人救済の根本法とは、法華経の肝要である南無妙法蓮華経にほかならないことを訴え、その教えを弘め抜かれました。その勇敢な実践には、まさに仏(釈尊)の精神を正しく受け継ぐ者であるという誇りが脈打っていたことでしょう。
 大聖人は、御自身のことのみならず、自身を支え、頼みとする門下のことを、「仏の御使」と呼ばれています。さらに拝読御文で挙げられている迦葉・阿難や天台・伝教についても、「仏の御使」であることを明示されています。
 民衆の幸福の実現を第一として仏法を弘める実践に、「仏の御使」としての真価が輝きます。


〈わが地域の輝き 勇敢に人生の試練に打ち勝つ〉
●拝読御文の大聖人の仰せの通り、どんな境遇にあっても勇気を奮い起こして、大聖人の弟子らしく状況を打開していくための信心です。
 佐藤さんは度重なる病に、きちんと治療を受けながら、池田先生の指導を胸に「絶対に負けるものか!」と、信心で立ち向かってきました。
●「勇気が人生を切り開いていくことを実感します。信心がある限り、何ものをも乗り越えていくことができると確信できることが、最高の功徳です」
   (聖教新聞 2013-01-08)