教育の目的は子どもの幸福にある

2013年1月22日(火)更新:3
【名字の言】
 教員と保護者が口論になった。「うちの子の成績の伸び悩みは、教え方に原因がある」と責める親に教員が反論する。「どうか、勉強をやる気になる躾を……」▼子どもの成長を願わない親も、教員もいない。だが、先の議論に不毛感が漂うのは、何か大切な視点が欠けているからだろう▼その“何か”が見えてくる話を、ある婦人部員に聞いた。小学生の娘の参観日。体育の授業は、二十数人ごとにチーム分けし、時間内に何人が跳べるかを競う「大なわとび」だった。娘のチームには運動の苦手な児童がいて、何度もひっかかる。婦人も気をもんだ▼だが子どもたちは、なわの回し方を工夫したり、その子が跳び込むタイミングに合わせて声を掛けたり、軽く背中をたたく合図を送ったりして何度も挑戦した。ついにその児童が跳んだ。記録は優勝チームに遠く及ばないものの、皆ではしゃぎ、全身で喜びを表現する姿に、婦人は涙したという▼創価教育の父・牧口初代会長は「教育の目的は子どもの幸福にある」と訴えた。むろん成績などの目標を決め、努力することは尊い。だが、数値だけで幸せは測れない。自分の頑張りを、心の底から喜んでくれる人が多いほど、子どもは幸福。教育の出発点は、ここにある。(城)
   (聖教新聞 2013-01-20)