(1)「非人道性」の観点に基づき 核兵器禁止条約を制定

2013年2月3日(日)更新:3
【第38回「SGIの日」記念提言「2030年へ平和と共生の大潮流」(下) 創価学会インタナショナル会長 池田大作
 続いて、2030年に向け、平和と共生の地球社会の建設を進めるにあたり、「生命の尊厳」の視座に基づいて特に明確な軌道を確立する必要があると思われる「核兵器の禁止と廃絶」と「人権文化の建設」の二つの課題について具体策を論じておきたい。
 第一の課題は、核兵器の禁止と廃絶です。
 核兵器は、冒頭で触れた『ファウスト』の話に照らせば、「すばやい剣」を現代において体現したものといえます。この「すばやい剣」を求める人間の心理についてゲーテが掘り下げた洞察にも通じる形で、現代文明が抱える諸問題を「速度」の観点から考察してきた思想家に、ポール・ヴィリリオ氏がいます。
 そのヴィリリオ氏が『速度と政治』(市田良彦訳、平凡社)と題する著書で、「核兵器とそれが想定する兵器体系の危険性は、爆発の危険性であるよりはよほど、それが存在し、精神の中で内破する危険性なのだ」と警告していたことがあります。
 もとよりこれは警句的な表現で、核兵器の爆発による被害が甚大で取り返しのつかないものであることは言うまでもありません。あくまで氏が強調しようとしたのは、核使用の有無にかかわらず、世界が核兵器の脅威で覆われている状態が意味する異常性、また、その状態が続くことが社会に及ぼす精神的な影響に目を向ける必要性です。
 私も、こうした問題意識に強く共感します。
 そうでなければ、核兵器保有の是非が専ら安全保障の観点から論議される中で、ともすれば見過ごされてきた点――例えば、氏が『自殺へ向かう世界』(青山勝・多賀健太郎訳、NTT出版)で、「核による抑止とは、総力戦を別のやり方で継続することにほかならず、これによって戦時と平時とのあいだの微妙な区別が失われ」たと指摘していたような、世界の実相が浮かび上がってこないからです。


〈戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」〉
 半世紀以上も前(1957年9月)、東西冷戦下で核開発競争が激化する中、「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器保有にひそむ「生命の尊厳」への重大な冒とくを許さず、その徹底的な打破を訴えたのが、私の師である創価学会戸田城聖第2代会長でした。
 戸田会長は宣言の中で、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」(『戸田城聖全集第4巻』)と述べ、核実験を禁止する重要性を踏まえつつ、問題の本質的な解決のためには、核兵器保有を容認する思想の根を絶つ以外にないことを強調しました。
 都市をまるごと壊滅させ、戦闘員と非戦闘員の区別なく多数の人々の命を一瞬にして奪い、生態系にも深刻な影響を及ぼす一方で、爆発後も後遺症などで人々を長期にわたって苦しめるのが、核兵器です。
 広島と長崎への原爆投下で、言葉には言い尽くせない非人道性が明らかになったにもかかわらず、今なお核兵器保有を是認し続けようとする思想の根底にあるものは何か。
 思うにそれは「総力戦」の行き着く果ての心的態度――前半での考察に沿った形で表現すれば、敵側に属する以上、誰であろうと関係性そのものに変わり得る余地はなく、つながりごと絶つしかないという、「生命の尊厳」の究極的な否定ではないでしょうか。
 そこには、哲学者のアレントが『暗い時代の人々』(阿部齊訳、筑摩書房)で論じていたような「他の人々と世界を共有する心づもり」など介在せず、あるのは、他の人々を「ともに喜びにひたるに値すると思わない」とみなす冷酷さしかない。いわば、仏法で説く「元品の無明」から生じる、人々の生命を根本的に軽視し、破壊しようとする衝動が、底流に渦巻いている。
 ゆえに戸田会長は、核保有の「奥に隠されているところの爪」をもぎ取り、世界の民衆の生存権を守るために、「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである」と訴えました。
 仏法者として死刑反対を主張していた戸田会長が、あえて極刑を求めるかのような表現を用いたのはなぜか。それは、“どの国であろうと、どんな理由があろうと、核兵器の使用を絶対に許してはならない”との思想を鮮明にするためであり、さらには、民衆の生存権を人質にしてまで国家の安全を図ろうとする核保有の論理に明確な楔を打つためだったのです。
 当時、東西の陣営に分かれて、相手側の核保有ばかりを問題視する主張の応酬が続く中で、イデオロギーや国家の利害にとらわれることなく、戸田会長は「世界の民衆」の名において核兵器を現代文明の“一凶”として断罪し、その廃絶を呼びかけたのです。
 時を経て現在、核拡散が進む中で、その防止策に焦点が向きがちですが、もちろんその対応は急務であるとしても、核兵器をめぐる問題の本質は戸田会長が「原水爆禁止宣言」で剔抉(てっけつ)していた点にあることを断じて忘れてはならない。
 この点に関して、国連の潘基文事務総長も、「ある者が核兵器保有することは他の者が獲得することを奨励します。それは、核拡散と、伝染的な核抑止ドクトリンの蔓延を招きます」(2010年8月の早稲田大学での講演、国連広報センターのホームページ)との警告を発しています。
 なぜそのような伝染が生じるのかという根源の問題に向き合わずして、いくら防止策を講じても実効性の確保は難しく、今後も新たな拡散を招きかねないのではないでしょうか。


《核依存の安全保障を脱却し日本は核廃絶への行動を!!》
〈NPT再検討会議を機に生じた動き〉
 こうした中、2010年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議を契機に、核兵器を非人道性に基づいて禁止しようとする動きが芽生えつつあります。
 NPT再検討会議では、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」(梅林宏道監修『イアブック「核軍縮・平和2012」』ピースデポ)との一文が最終文書に盛り込まれました。
 以来、2011年11月に国際赤十字赤新月運動の代表者会議で、核兵器の使用禁止と完全廃棄を目指す条約の交渉を求める決議が採択されたほか、昨年5月には、次回のNPT再検討会議に向けて行われた準備委員会の場で、ノルウェーやスイスを中心とした16カ国による「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」が発表されました。
 共同声明では、「冷戦の終結後においてすら、核による絶滅の脅威が、21世紀における国際的な安全保障の状況の一部であり続けていることは、深刻な懸念」との認識を示した上で、次のような呼びかけを行っています。
 「もっとも重要なことは、このような兵器が、いかなる状況の下においても二度と使用されないことです」
 「すべての国家は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界を実現するための努力を強めなければなりません」(前掲『イアブック「核軍縮・平和2012」』)と。
 昨年10月には、この共同声明に若干の調整を加えたものが国連総会第1委員会で発表され、賛同の輪はオブザーバー国を含めて35カ国にまで拡大しました。
 そして今年3月には、共同声明を踏まえる形で、ノルウェーのオスロで「核兵器使用の人道的影響」をテーマにした政府レベルの国際会議が開かれます。
 この国際会議は、科学的な見地から、核兵器の使用による即時的影響や長期的影響、人道救援の困難性について検証することを目的としたものです。
 また、9月には国連で、核兵器の完全廃棄をテーマにした「核軍縮に関する総会ハイレベル会合」の開催も予定されています。
 私は昨年の提言で、有志国とNGO(非政府組織)を中心とした「核兵器禁止条約のための行動グループ」の発足を提案しましたが、これらの会議を通じて機運を高め、共同声明への賛同の輪を大きく広げながら、可能であれば年内に、非人道性の観点から核兵器を禁止する条約づくりのプロセスを開始することを、強く呼びかけたい。


《北東アジアの平和を切り開くために》
 そこで今後、重要なカギを握るのが、核保有国による“核の傘”に自国の安全保障を依存してきた国々の動向です。
 共同声明には、非核兵器地帯に属する国々や、非保有国で核廃絶を求める国々などと並んで、NATO(北大西洋条約機構)の加盟国として“核の傘”の下にあるノルウェーとデンマークも加わっています。しかも両国は、声明づくりにも関わってきました。
 アメリカの同盟国として同じく“核の傘”の下にある日本も、非人道性の観点から核兵器の禁止を求めるグループに一日も早く加わり、他の国々と力を合わせて「核兵器のない世界」を現実のものとするための行動に踏み出すべきである、と訴えたい。
 核兵器の脅威がある限り、核兵器で対峙し続ける以外にないと考えるのではなく、被爆国として、“保有する国の違いによって、良い核兵器があるとか、悪い核兵器があるかのような区別は一切ない”との思想を高め、核兵器禁止条約の旗振り役の一翼を担うべきではないでしょうか。
 私は前半で、釈尊の「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)との言葉に言及しました。
 核兵器についても、広島や長崎の人々が自らの被爆体験を踏まえ、「どの国も核攻撃の対象にしてはならない」「どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない」との二重の誓いをメッセージとして発信してきたように、核兵器による惨劇をなくす挑戦の最前線に日本が立つことを望みたい。
 具体的には、日本が「核兵器に依存しない安全保障」に舵を切る意思を明確にし、「地域の緊張緩和」と「核兵器の役割縮小」の流れを自ら先んじてつくり出していく。そして、北東アジアに「非核兵器地帯」を設置するための信頼醸成に努める中で、グローバルな核廃絶の実現に向けての環境づくりに貢献すべきであると思うのです。
   (聖教新聞 2013-01-27)