体験 人工透析を始めて33年

2013年2月21日(木)更新:5
【“今”を真剣に日々後悔なし 人工透析を始めて33年】
〈突然の余命宣告〉
●「慢性腎不全?それは治る病気なんですか」
 恐る恐る聞き返す山戸さんに、医師は慎重に言葉を継いだ。
 「残念ですが、回復の見込みはありません。しかし、人工透析を続ければ、5、6年は大丈夫でしょう」

〈負けてたまるか 闘病の中、左目失明、右足まひ 大型量販店で明るく働く〉
●そんな山戸さんのもとに、創価学会員の親戚が訪ねてきた。最初は反発したが、何度も足を運ぶ熱意に押され、1984年(昭和59年)に入会する。
 実の弟のように心配してくれる男子部の先輩。自分のことのように涙を流す多宝会の友……。すさんでいた心が、次第に癒やされていく。
●池田名誉会長宛てに近況をつづり手紙を出した。数日後、「お題目を送ります」との激励の返事が届いた。“一度も会ったことのない私に……”
 山戸さんは感動し、御本尊に向かった。
 最初の4、5年は、衰弱のせいで座ることができなかった。それでも、横になった状態で唱題を続けた。
 題目を唱えるほどに“病気などに負けてたまるか!”との強い気持ちがあふれてきた。命ある限り、前に向かって生きてみせる、と山戸さんは深く決意した。
 その心の変化に呼応するかのように、やがて食事がのどを通るようになり、人の手を借りずに起き上がれるようになった。何より、あれほど間近に感じていた「死の恐怖」が消えていた。
 入会から7年後、いつしか医師から宣告された年数は過ぎ、山戸さんは軽運送の事業を営むまでに回復。透析治療に通う苦労など、みじんも見せず、妻に支えられ、仕事に、学会活動に全力で走り抜いた。

〈俺の広宣流布
●医師は「最悪の場合も覚悟してください」と告げた。
 しかし山戸さんの心は揺るがなかった。御本尊を根本に生きてきた日々。そこには、感謝があり、絶対に乗り越えられるとの確信があった。
 “1分1秒でも長く生き抜いてみせる。それが俺の広宣流布の戦いだ!”
●今年、人工透析を開始して33年がたった。週3回、1日5時間の透析。治療を受けた日は、今でも、ぐったりする。それでも山戸さんは言う。
 「もし病にかかっていなかったら、信心に巡り合っていなかった。そう思うと感謝でいっぱいになります」
 病のことなど感じさせないほど、常に明るく振る舞う山戸さん。「頂いた命だと思っています。だから一日一日、使命感と喜びをもって生きています」
●“今”を真剣に生き抜く山戸さんに、“後悔”の二字はない。
   (聖教新聞 2013-02-20)