御本仏・日蓮大聖人の眷属である事を行動をもって示し抜いていくのだ

2013年2月23日(土)更新:7
・『七文字の法華経を流布すべき大任をおびて出現した事を自覚致しました』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20160106


【新・人間革命 勇将 九】
 一九五一年(昭和二十六年)、戸田城聖が第二代会長として立つと、全会員は広宣流布の使命を自覚し、折伏大行進を開始した。その同志について、戸田は、こう述べている。
 「教相面すなわち外用(げゆう)のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする」(注1)
 そして、「これこそ発迹顕本であるまいか」(注2)と叫び、牧口会長の遺志をついで、東洋への広宣流布の使いとして、仏法に身命を捧げることを誓っている。
 いわば、私たちにとって、発迹顕本とは、人びとの幸福と平和を実現する広宣流布を、人生の至上の目的、使命と定め、その果敢なる実践を、現実生活のなかで展開していくことにある。御本仏・日蓮大聖人の眷属であることを、行動をもって示し抜いていくのだ。

 山本伸一は、四国研修道場の庭で、夜の海を見ながら、竜の口の頸の座に臨まれた大聖人の御振る舞いを偲び、その大随喜の御境涯を思った。それは、末法の不幸の闇を晴らす太陽が、赫々たる輝きを放ち、大宇宙を黄金に染める瞬間であるように感じられた。
 その時、瀬戸の空に光が走った。流星である。さらに、二つ、三つと、光が流れた。
 伸一の脳裏に、思わず句が浮かんだ。

  流星に
    顕本見えたり
        庵治研修

 伸一は、大聖人の御境地に思いを馳せながら、齢五十にして、広布第二章の「支部制」という新出発の時を迎えた今、わが人生の、さらに、新しい創価学会の発迹顕本といえる戦いを開始せねばならないと、深く、強く、心に誓ったのである。
■引用文献  注1、2 「創価学会の歴史と確信」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社
   (聖教新聞 2013-02-22)