現実の変革は、常に一念の変革から始まる

2013年2月25日(月)更新:7
【名字の言】
 「あ、痛っ」。理容店で、ひげそり中の客が小さな声をあげた。金属製のカミソリが滑って肌を傷つけたらしい▼わびる理容師に、間髪入れず客が告げた。「こいつは縁起がいい。カネが入った」。金物の「金」と銭金の「金」を掛けた軽妙なしゃれである▼「1人の若者が3人の高齢者を支えなければならない超高齢社会」という言い方がある。カルチャースタディーズ研究所の三浦展氏は、これを「3人の高齢者が1人の若者を支える社会」と考えれば少し明るくなる、と述べていた。2階に空き部屋のある家に独りで暮らすおばあさんが、若者に安く貸し出すなど、「シェア(共有)」の価値観の広がりによる社会の活性化を提案している(本紙昨年12月18日付)。視点を変えれば、発想は広がる▼日蓮大聖人は、主君から新しい領地を得た四条金吾に「たとえ、どんなに悪い土地であっても、“良い所だ、良い所だ”と言っていれば、また重ねて頂戴することもあろう」(御書1183ページ、趣意)と諭されている▼言葉を変えただけで、事態が変わるわけではない。だが、災いを福に転じる“知恵の言葉”を発すること自体、現状を良くしようという決意の表れに違いない。現実の変革は、常に一念の変革から始まる。(糀)
   (聖教新聞 2013-02-24)