その名芳し 中野兄弟会

2013年3月8日(金)更新:8
【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも)〈21〉東京・中野】
●その名芳し、中野兄弟会。
 池田名誉会長が「真実のわが同志」「永遠のわが戦友」と信頼してやまないグループである。「中野・青少年スポーツの集い」に集った1338人の男子部・女子部・学生部・未来部員で結成された。
 8割以上のメンバーが区外に転出したが、40年たっても師が「最も信義に篤(あつ)い」とたたえる団結は変わらない。
●「中野さえあれば」という人材の山脈を――中野会の結成にあたり、池田名誉会長は語った。この日、1973年2月4日が「中野の日」に(中野体育館で)
●「忘れまじ あの日あの時 誓いたる 歴史綴む この世悔なく」

広宣流布の縮図〉
●40年前の2月4日。正午過ぎに到着した名誉会長は、4時間以上にわたって、中野の同志と記念写真に納まり、懇談し、スポーツ大会では自ら卓球のラケットも握った。
●3回目に撮った青年部を中心に「兄弟会」となる。事前に選抜されたわけではない。後からの補充もない。あの日、あの時、あの場所にいた青年たちである。
 「中野家族、中野兄弟だ、このメンバーは」「全部、中野兄弟会だ」「広宣流布の縮図として、やってみようよ」
 名誉会長は呼び掛けた。
 その際、全員が将来の希望を紙に書いて提出することを提案。30年後を目指して、毎年、2月4日を中心に集い、励まし合いながら進むよう望んだのである。
●「報恩感謝の心で、地域に貢献し、創価の旗を振り続けたい。生涯、先生と兄弟会との誓いを貫いていきます」

〈庶民の哲学者に〉
●浦沢さん(副本部長)は「K-19」グループの責任者である。
 Kとは「兄弟会」の略。兄弟会には43のグループがあり、各責任者から毎年2回、近況掌握のため、メンバーにハガキが送られる。もちろん電話連絡も欠かさない。
 名誉会長もこの伝統を「連絡主義、激励主義というか、そこには権威的な命令がない。たゆみない、温かな人間的交流がある」とたたえた。
●40年前は大学4年生。
 紙には「弁護士」と書いた。
 しかし、27歳の時に夢を断念した。学術情報サービスの会社に就職し、昨年まで勤め上げた。2009年(平成21年)に襲った脳梗塞の試練も、題目根本に乗り越えた。長男の隆さん(男子部副部長)も21世紀中野兄弟会に。
 これからの目標を聞くと、即座に「家庭訪問です」と。「信心の素晴らしさを腰を据えて語る。それに徹しようと思っています」
 兄弟会からは、弁護士、博士、医師、政治家、ジャーナリスト、1級建築士、学校校長、俳優、漫画家……多彩な人材が出た。
 目標を果たし、社会で名をなすことは素晴らしい。しかし、それぞれの頂を目指し、師匠のもと、励まし励まされながら歩んだ人生そのものが、兄弟会の最高の宝に違いない。40年前、名誉会長は語り残していた。
 「社会で力をつけ、リーダーになっていくことが大事です」「しかし、最も大事なことは、社会的には、どういう立場であれ、学会の組織にあって庶民の哲学者として、民衆を守り、励まし、広宣流布に生き抜くことです!」
●「立ち上がれ 日本一の 中野会」
●日本一の兄弟会と進む私たちこそ、日本一仲良く、日本一の拡大を――中野の同志の深い使命と決意である。
   (聖教新聞 2013-03-07)