一緒に走る“寄り添いの同志”でありたい

2013年3月12日(火)更新:3
【名字の言】
 目の不自由なランナーが伴走者と走る際、2人は1本の綱を握り合う。綱は、互いの気持ちを通じ合うための“心の絆”でもある▼伴走者は通常、ランナーの真横か、半歩後ろを走る。前に出るのは、誘導を要する危険な箇所のみで、それ以外の場面で、引っ張るようなことはしない。ペースを考え走るのは、あくまでもランナー本人。伴走者は“脇役”に徹するのだ▼先日、ある婦人部のリーダーから電話をいただいた。彼女は原発事故で避難を強いられ、今も帰郷はかなわない。苦労した話かと予想したが、話す声が弾んでいる。事故前、同じ地域で信心に励んだ婦人部員から、「夫が入会します!」と連絡があったという。その夫は長年、信心に無理解だった▼電話の向こうで「私、ずっと祈ってきたから……もう、うれしくて、うれしくて」と。今なお、自身は筆舌に尽くせぬ苦境にありながら、彼女が強く願っていたのは、苦楽を共にした同志の幸せだった▼11日で東日本大震災から3年目に入る。「被災者に寄り添う」との言葉を聞いて久しい。心の“綱”を手放さず、かといって頑張りを押しつけるのでもなく、幸福のゴールテープを切るまで、いつも横にいて、一緒に走る“寄り添いの同志”でありたい。(白)
   (聖教新聞 2013-03-10)