詩 私は勝った 君も勝て

2013年4月1日(月)更新:5
【池田名誉会長 桂冠詩人の世界 桜花に包まれた4月2日を迎えて 私は勝った 君も勝て】
●「4・2」――戸田城聖第2代会長の逝去から33年を迎えた1991年4月、池田名誉会長は、故郷にそびえ立つ東京の大田文化会館を訪れた。
 名誉会長が戦時下を生き、恩師との運命的な出会いを果たし、師弟不二の青春を勝ち抜いてきた大田の地。
 前年の年末から、邪宗門の悪侶が、創価の師弟の絆を引き裂こうと蠢(うごめ)く中で迎えた「4・2」。しかし、同志の胸中に輝く師弟の魂は微動だにすることはなかった。それどころか、民衆の力による広宣流布への情熱が燃えたぎっていた。
 10日、同会館で行われた本部幹部会で、名誉会長は語った。「私どもは、我が身の仏界を開きつつ、大勢の人々の胸中の“仏の花”をも開かせ、育てている――まさに『最高の人生』である」と。


●それは 先生の人生の最終章に入った 昭和三十二年(一九五七年) 四月の頃であった。 私は一人 会長室に呼ばれた。
 先生は布団を敷かれ 横になっておられた。 先生は言われた。 「大作! 大作のような弟子をもって 俺は本当に嬉しい。 大作! おまえも 俺も勝った……」 静かな声であられたが 力強く 先生は言い残された。
 先生のお体は 大変に弱り果てておられた。 私の手を握りながら 先生は 「君よ 世界広布を頼むよ!」と 仰せになられた。
 私は泣いた。 涙が溢れた。 偉大な師匠の目にも 笑顔と同時に 涙が見えた。
 それから 先生は静養され いったん回復なされたが 体力の衰えは否めなかった。 二年間の獄中闘争は あまりにも先生の身体(からだ)を 痛めつけていたのである。
 そして翌年 明るい光の春――桜花に包まれるなか 常楽我浄の旅立ちの あの四月二日を 迎えられた。
 仏法の真髄には 「師弟不二」の法理が 明かされている。
 「弟子は枝葉の如く 師は根の如し」 「弟子は流れの如く 師は源の如し」 「弟子は火の如く 師は薪の如し」 「弟子は草木の如く 師は大地の如し」
 弟子の栄光こそが 師匠の栄光である。 弟子の勝利こそが 師匠の勝利である。
 (わが勇気ある永遠の同志(とも)に贈る 「青春は前進だ!人生は勝利だ!」より)
   (聖教新聞 2013-03-31)