平和を創る「開かれた対話」の旅

2013年4月13日(土)更新:3
【英知の光彩 名誉学術称号 受章の足跡 第20回 マレーシア公開大学 アヌワール学長】
 〈貴国マレーシアは、国民の約6割がイスラムでありながら、多民族、多宗教の共生の模範を示されている国です。イスラムと仏教は、どのような点で協力し合えるのでしょうか〉
 イスラム聖典であるコーランは、他宗教の人を憎むのではなく、理解し、包容するよう諭しています。
 仏教もまた、生き物全てを慈しむ心を説いています。
 この二つの宗教は、人間が本来取るべき姿勢、歩むべき正しい道を示しています。
 しかし残念なことに、無知や、利益を欲するエゴが、もともとの教義の解釈を誤らせ、間違った思想を生み出しているのです。
 こうした無知やエゴを乗り越えるには、より多くの「開かれた対話」が必要です。そうして初めて、世界平和を語ることができるのです。
 この目標達成を目指す時、イスラムと仏教は協力し合える、と私は考えています。

 〈SGI会長は長年、イスラムとの宗教間対話に取り組んできました。こうした行動を、どう評価していますか〉
 池田博士の最も優れた特質は、自身を顧みず、どこまでも粘り強い姿勢で世界の平和と調和のために尽力されていることです。
 博士は、世界平和の実現のために、おのおのの政治理念に関係なく、世界各国のリーダーと「開かれた対話」を重ねてこられました。そしてその波は、文化間、宗教間にとどまらず、国家間にも及んでいます。
 特に9・11同時多発テロ」(2001年)以降、博士は暴力は暴力では解決できないことを強く訴えておられます。いかなる理由であれ、テロは生命の尊厳を慈しむ心を奪うものである、とも言われております。こうした考えが、仏教の不殺生の哲学に深く基づいていることは言うまでもありません。
 これは、ガンジーの非暴力の精神にも通じます。
 まさに池田博士の平和への旅路とは、慈悲と非暴力の精神を国際社会に根付かせていく旅路なのです。

 〈貴大学は09年2月、SGI会長に外国人初となる「名誉人文学博士号」を授与しています。その際、SGI会長と、じかに接した印象をお聞かせください〉
 池田博士のことは、私がマレーシア国民大学の副総長を務めていた、2000年から存じ上げておりました。ただ、初めて直接お会いできたのは09年の式典の前です。
 大変に聡明な方でした。形式にこだわらず、穏やかな口調で話される一方、非常に説得力のある理論を展開されていました。
 長い間に積み重ねてこられた深い教養が、現在の博士の優れた人格を形成していることは言うまでもありません。

 〈授与式は、貴大学にとって初めて海外で挙行したものであり、本国での式典と寸分違わず執り行うために、設営物なども取り寄せておられます。何が、授与の決め手になったのでしょうか〉
 わが大学は長年、創価大学と交流を重ねてきました。
 年に1度、創大から短期研修生を受け入れています。講演やセミナー、社会見学などを通して、マレーシアの多文化に触れてもらうのです。
 こうした交流が、今に続く固い友情の絆を育んできたのです。
 ただ、博士号の授与は、これらの交流に対する池田博士の積極的なご支援を、単に称賛したものではありません。
 それ以上に、博士の世界平和への貢献と理解に、最大の敬意を表したかったのです。
 式典では、博士が終戦後、何としても人々の苦しみを取り除こうと深い情熱を持って献身的に行動してきたこと、労苦を厭わず、各国の指導者と「開かれた対話」を重ねてこられたことを、述べさせていただきました。
 池田博士は「誰もが平和を希求している」との信念をお持ちです。「世界の平和と調和を維持するために、争いは決して起こしてはいけない」と広く訴えておられる要因もここにあると思います。
 博士は、どこまでも平和に徹する方であり、哲学者、教育者でもあるのです。

 〈宗教間対話における大学の役割について、学長は、どのようにお考えですか〉
 大学は、学生たちに就職のための必要な知識を身に付けることを求められます。
 しかし、それだけでは不十分です。私たち一人一人に大きな影響を及ぼし、関わりを持つ、政治や経済、文化といった分野に敏感でなくてはなりません。
 学生たちの間に異文化の理解を広げていくには、まずは根本的な人間文化・人間社会を説明する授業に触れさせていくことです。
 このような機会は、教育省の認めた必修科目として、既にマレーシアの全ての大学で提供されています。
 結局のところ、学生たちの中にどれだけ、人類への関心と愛情、また、社会に貢献する姿勢、異文化への相互尊重の心を育んでいけるかに、教育の真価があります。
 池田博士は、日本のみならず、世界に創価教育のネットワークを広げることで、こうした考えを訴えてこられました。教育とは、制限された閉鎖的な社会に存在するのではなく、世界的な意味合いを持つものでなければならないのです。

《無知とエゴを乗り越えイスラムと仏教の協力を》
 〈SGI会長のリーダーシップのもと、各国のSGIは、「良き市民」として、平和・文化・教育に貢献する運動を展開してきました〉
 マレーシア創価学会は、これまで、さまざまな形でわが国における異民族間の懸け橋となり、異なる文化・宗教を持つ人々の間に相互理解の道を開いてこられました。
 定期的に対話の場を設け、多くの人が共感できる幅広いテーマで講演等を行ってこられました。
 さらに、青年世代がこれらの活動に積極的に参加するように、働きかけています。

 〈マレーシア創価学会の青年部も、数々の国家行事に出場するなど、社会貢献の道を歩んでいます。世界のSGIの青年の心には、SGI会長のたび重なる励ましに報いようとの誓いがあります〉
 若い人々に、忍耐や助け合いの心、さらには、社会や国家への責任感を育んでいく創価の運動は、称賛に値するものです。
 マレーシアには“竹は新芽のうちから曲げておくのがよい”ということわざがあります。教育や訓練は、幼いころから受けておくことが大事です。
 この言葉のように、学会の青年の皆さんには、引き続き鍛錬を重ねていただきたい。
 皆さんが大切に掲げている思想・哲学は、多民族・多文化の社会に調和を促していく上で、非常に大きな役割を担っています。ゆえに、皆さんには、世界中の青年たちの憧れとなり、模範となっていただきたいのです。


《世界はなぜ讃えるのか 解説 「相互理解」の範を示す人》
●SGI会長がマレーシアを初訪問したのは1988年2月。この折、マハティール第4代首相との会見に臨んだ。
 話題は相互理解のあり方に及び、SGI会長が、それは、まず会って対話することから始まると信条を述べると、首相は即座に「会うことで親近感が生まれる。対話することで相互理解が深まるのです」と賛同した。
 「開かれた対話」を生み出す源泉。それは「教育」だ、とアヌワール学長は結論する。
   (聖教新聞 2013-04-13)