教学 煩悩即菩提 智慧の火を燃やし広布へ前進!

2013年4月15日(月)更新:5
【みんなで学ぶ教学〈8〉〜新会員のための仏法用語〜 『菩提即菩提』】
●悩みに振り回されて苦しい時にはどうすればいいのでしょうか。
●妙法に生き抜けば 苦悩を“成長のバネ”へと変えることができます。


●「だれでも、人生、何らかの苦難がある。悩みのない人間などいない。だからこそ、『煩悩即菩提』の仏法が必要なのである」(名誉会長)

〈心身をわずらわし悩ませるもの〉
●「煩悩」とは仏教用語で、私たちの身や心の平静を乱す働きの根源をいいます。具体的には、怒り、憎しみ、欲望などが、それにあたります。
●煩悩にはたくさんの種類があるのです。
 そのなかでも、もっとも根本的なものとされるのが、「貧・瞋・癡」の「三毒」です。すなわち、貪りの「貪欲」と、瞋(いか)りの「瞋恚(しんに)」、それに、我見にとらわれて物事を正しく判断できない癡(おろ)かさを表す「愚癡」の三つです。

〈「断ずる」ことなく悟りを得る〉
●煩悩ってなくならないの?
●なくすんじゃないよ 転換するんだよ

法華経は、人間のもっている煩悩を断ずることなく、直ちに菩提が得られることを明かしました。これを「煩悩即菩提」といいます。
 もちろん、「即」といっても、悩みや迷いが“そのまま”悟りに等しい、ということではありません。
●「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)
 「即」とは信心の一念です。南無妙法蓮華経の題目を唱え、妙法に生き抜けば、煩悩即菩提の法理に則り、煩悩の生命に菩提の智慧を現していくことができます。
●「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(同710ページ)とも記されています。信心を根本にするならば、煩悩は悟りの智慧の火を燃え上がらせる薪である、との仰せです。煩悩に真っ向から取り組んでいくとき、悟りの智慧が現れ、煩悩をコントロールしていけるのです。

〈大切なのは“何を欲するか”〉
法華経は煩悩を排除しません。むしろ、煩悩即菩提は、煩悩という生命エネルギーを、悪の方向にではなく、善の方向に方向づける智慧を教えているのです。
 池田名誉会長は語っています。「仏となっても、悩みもあれば苦しみもある。病気もする。魔の誘惑があることにも変わりはなかった」「この魔と不断に戦い続ける。人々を救うために行動また行動を続ける。その『人間』が『仏』なのである」と。
 仏にも悩みはあります。しかし、この場合の悩みとは、どう人を救うかとの悩みです。
●大事なのは、“欲望を消し去る”ことではなく、“何を欲するか”です。たとえば、正法に対しては貪欲であるべきです。“広宣流布に貢献したい”“もっと成長したい”“あの人を救いたい”という欲望は、大いに燃やしていくべきでしょう。
 煩悩即菩提こそ、悩みとの最高の向き合い方を実現する法理だといえます。悩みを成仏のエネルギーに転換し、今日も広布の活動へと打って出ていきましょう。
   (聖教新聞 2013-04-14)