仏法の師弟の絆は三世永遠であり、弟子は常に師と共に生まれ巡り合う

2013年4月16日(火)更新:3
【名字の言】
 本居宣長が本格的に国学の研究を志すきっかけは、賀茂真淵の書物との出あいだった。その後、宝暦13年(1763年)5月の夜、真淵が宣長の地元・松坂を訪問中と知るや、宿までおしかけ入門を請うた。世に言う「松坂の一夜」だ。今年は、この師弟の出会いから250年を迎える▼2人の出会いは、この1回だけ。宣長は、往復書簡によって、真淵が世を去るまでの6年間、厳しくも慈愛に満ちた指導を受け切る。真淵の没後も、毎年の祥月命日には書斎に位牌を掲げ、生涯、師恩を忘れなかった▼思えば、小林秀雄は大著『本居宣長』の中で、2人のやりとりを丹念に詳述した。それが宣長宣長たらしめる要の一つと感じたのかもしれない▼フランスの作家であるアランの弟子・モーロワはつづっている。「アランはつねに偉大だが、師ラニョーについて語るとき、かれはつねにもまして偉大である」(佐貫健訳)。洋の東西を問わず、師弟の道に徹する人生には、高潔さが漂う▼法華経では師弟の因縁について、「在在諸仏土常与師倶生」と説く。仏法の師弟の絆は三世永遠であり、弟子は常に師と共に生まれ、巡り合う、と。弟子として、これほどの喜びはない。「報恩」に徹する人生の誉れを忘れまい。(弘)
   (聖教新聞 2013-04-16)