わが友・寸・いのちを守る森の防潮堤・核兵器は人類全体への脅威 他

2013年4月20日(土)更新:2
【わが友に贈る】
「初心忘るべからず」
 行き詰まったら
 原点に返れ!
 「何のため」心に刻み
 わが信念の道を貫け!
   (聖教新聞 2013-04-18、以下同)


【御書は人生の骨格 首都圏女子部 教学部長講義】
●御書は「勝利と幸福の人生を築く骨格」であり、御書を生命に刻んだ分だけ「不動の自分」がつくられる


寸鉄
●調和の哲学を持つ創価の青年よ世界の模範たれ―学長(マレーシア)。平和指導者と育て
●きょう大学会の日。青春の誓いを忘るな。全員が仏法即社会の世雄と光れ  
●御書「疑う心なくば自然に仏界にいたる」。何があっても唱題の人は無敵  
●元気よく思い切って飛び出していけ―文豪(ゲーテ)。さあ友の中へ!勇気の対話を
●4月は未成年者飲酒防止強調月間。絶対に飲むな飲ませるな!慢心排して


【本部幹部会で紹介された名誉会長の揮毫】
●一つは、墨痕(ぼっこん)鮮やかな「五月三日山(ざん)」。
 脇書には、名誉会長が第3代会長を辞任した直後の「昭和五十四年五月三日」の日付が記されている。
 当時、名誉会長は、師弟の絆を絶とうとする嵐の中、神奈川文化会館を中心に、「正義」と「共戦」の魂で、新たな世界広宣流布への雄渾の指揮を執っていた。
 創価の師弟の心に、「五月三日」の「広宣流布誓願」が何ものにも揺るがない山のごとくそびえ立つ――不動の大山そのものであった名誉会長が、厳然と悠然と書き留めたものである。
●もう一つは「天も晴れ//心も躍る/創価の日/元初の誓いは/いやまし光りぬ」の和歌である。
 昭和54年(1979年)から5年後の同59年に認められた。
 事業の苦境にあった恩師・戸田第2代会長を名誉会長が守り抜き、戸田会長の就任式を迎えたのが昭和26年5月3日。
 以来、名誉会長は毎年の5月3日「創価学会の日」が巡り来るたびに、元初の誓いをいやまし光らせ、広布前進の波を起こしてきた。
 第3代会長就任の直後から始めた功労者宅の訪問は、この昭和59年、500軒になろうとしていた。
 一軒また一軒と同志のもとに足を運び、一人また一人と友を励まし抜きながら、時を創り、時を開いていったのである。
 名誉会長は詠んだ。
 「おお 我らの五月三日よ!/君も あなたも/万歳を叫ぼうではないか。/自分自身の勝利、万歳!/全同志の勝利、万歳!/師弟不二の勝利、万歳!と」
 「五月三日の生命は/永遠に朗らかに/永遠に前進する!/永遠に勝利また勝利だ!」
 今こそ師と共に、晴れ渡る5月3日の生命で、断固たる大前進を開始する時である。


【婦人部が幸のスクラム 茨城、江戸川(東京)で歓喜の集い】
●「『11・18』総本部完成を目指し、確信の祈りと師子奮迅の勇気で、対話の大輪を咲かせたい」(総茨城婦人部長)
●一家和楽の信心を築いた喜びと地域友好の模様を語った。
●「朗らかに対話を拡大し、師恩に報いる歴史を」(総区婦人部長)
●友の幸福のための祈りと行動こそが、宿命転換の直直道


【きょうの発心 自身の人生勝利が広布の実証】
御文
  御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり(檀越某御返事、1295ページ・編1092ページ)
通解
 宮仕えを法華経の修行と思いなさい。法華経に「一切世間の治生産業は皆、実相と違背しない」と説かれているのは、このことである。
●仕事に取り組む姿勢を教えられた一節であり、仏法に精通した人は、職場、社会で勝利者になっていくべきである、との仰せです。
●二部学生大会に参加。その大会に池田先生からメッセージが寄せられました。「諸君の人生の勝利は、そのまま広宣流布の実証である」――この言葉に感動し、仕事と勉学、学会活動に全力投球をと誓いました。  


【環境 いのちを守る森の防潮堤 地球環境戦略研究機関国際生態学センター長 宮脇昭さん】
津波を耐えた土地本来の木〉
●常緑広葉樹を主木としてつくった森があります。これらの木々は流されずに生き残り、漂着物を捕らえて減災に大きな効果を発揮しました。
 また、土地本来の木々が残る古い屋敷林や鎮守(ちんじゅ)の森も、津波の直撃を受けながら、堂々と立っていました。
●多様な植物が競争し、共存する植生のほうが、外圧への耐久性は高まるのです。

〈恩師に学んだ潜在自然植生〉
●潜在自然植生とは、現場の自然環境と、そこに残されている多様な植物の跡を緻密に分析する中で、その土地が本来はどのような植生を支える力を持つのかを探る理論です。
 私は30歳のときに訪独し、チュクセン教授のもとで2年半にわたり調査・研究に励み、この植物社会学の最先端理論を学びました。その知見に基づき、日本列島の各地で現地植生調査を重ねた結果、国土の大半が照葉樹林の潜在自然植生域であることを確かめました。

《東北に9000万本植える構想》
〈メンテナンス不要の利点〉
●最初の3年ほどは草取りなどの手入れが必要ですが、それ以降は木々どうしの競り合い効果による成長・自然淘汰に任せます。メンテナンス不要の利点から、火力発電所や工場、学校や住宅団地などの環境保全林としても、多く導入されてきました。
 85歳の現在、100年に一度という大震災を経て、次の災害に備える森づくりを提唱しています。「いのちを守る森の防潮堤」構想は、津波で発生した膨大ながれきを資源として生かすものです。
 その概要は、被災地の沿岸部に沿って幅30メートル以上の帯状に、深さ数メートルの穴を掘り、有害物を除去したがれきを混ぜながら、掘った土を埋め、ほっこらとした高いマウンドを造成します。そこに潜在自然植生にのっとった常緑広葉樹の苗木を植えていくものです。東北地方の南北300キロにわたり、9000万本を植えていく、国家・国民的プロジェクトにしていきたいと念願しています。

〈がれきを資源として活用〉
●幅100メートル、高さ22メートルのマウンドを南北300キロにわたり造成した場合、震災がれきのすべてを活用したとしても、その割合は防潮堤で使う土のわずか4・8%です。がれきは、生態学的に見れば貴重な地球資源なのです。
●潜在自然植生にのっとった本物の森は、次の氷河期が来ると言われる9000年後まで残ります。緑豊かな観光資源にも、高級木材の供給源にもなり、経済的な意味でも地域を支えていくのです。私はこのプロジェクトの実現に向け、賛同していただける行政、企業、各団体、市民の皆さんと共に、命の続く限り、木を植え続けていきます。


【文化 核兵器は人類全体への脅威 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)共同会長 アイラ・ヘルファンド】
《非人道性を踏まえ禁止条約求める池田SGI会長の提言に共鳴》
〈限定的な核戦争でも深刻な被害〉
核兵器の存在自体が「生命の尊厳」への重大な冒とくである(平和提言)
●冷戦時代、米ソ間で大規模な戦争が勃発した場合、全人類に対する大惨事となりうることは周知の事実でしたが、2006年に発表されたアラン・ロボック氏とブライアン・トゥーン氏らによる研究では、限定的な地域核戦争ですらも、全世界に破滅的な影響を及ぼしうることが明らかになったのです。
●それぞれがヒロシマ型の核兵器50発を使用した場合を想定して、どのような影響が起こるのかという予測を行いました。まず、直接的な影響で2000万人以上の命が奪われます。また、さらに悲惨な結果として、地球規模の気候変動が生じ、核爆発で生じた炎による煤煙(ばいえん)が太陽光を遮るために、地球全体の気温が平均で1・3度低下すると予測しています。

〈10億人以上が飢餓に陥る危険〉
●もし南アジアで、限定的な核戦争が起こった場合、戦地からはるか何万マイルも離れた地域に住む10億以上の人々は、この戦争が起きた後に飢餓状態に陥る危険性があります。
アメリカのトライデント潜水艦は96の核弾頭を装備し、それぞれの核弾頭は、南アジアの核戦争のシナリオで想定された核爆弾よりも10倍から30倍の威力を持つとされています。したがって1隻の潜水艦で「核の飢餓」を何度も引き起こす能力を有しているのです。
 アメリカは、このような潜水艦14隻と陸上ミサイルのほか、巡航(じゅんこう)ミサイルや無誘導爆弾を搭載した爆撃機保有しています。ロシアも同様に、核兵器による過剰な殺戮力を保持しています。
 核保有国は「核兵器を使用することはありえないから心配ない」と言いますが、彼らの言明を受け入れられる合理的な理由は見つかりません。アメリカとロシアは、3000発以上もの核弾頭を15分以内に発射可能なミサイルに搭載しており、この世界を30分以内に破壊することができるのです。
 これは尋常なことではありません。安定的な平和が構築された2カ国の間で相手に取る態度ではないのです。両国がこのような核戦力を保持し続ける限り、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が使用される現実の危機が存在するのです。1979年以来、少なくとも5回、自国が攻撃の危機にさらされているという誤解に基づいて、モスクワかワシントンの一方が、他方に対する核攻撃の開始を準備するという事態があったことを、我々は認識しています。
 米ロ間で大規模な戦争が起これば、世界の気温は平均で8度下がることになります。地球はそれほどの低気温を最後の氷河期以来、1万8000年もの間経験していません。こうした環境では食糧生産は停止し、人類の大半が飢餓にあえぐことになり、人類の絶滅もありうるのです。

〈大きなカギ握る非保有国の行動〉
 今年3月、ノルウェー政府が主催し、世界132カ国が参加した「核兵器使用の人道的影響」に関するオスロ国際会議に、国連安全保障理事会の五つの常任理事国は参加しませんでした。この不参加は、核保有国が率先して核兵器の廃絶に取り組む姿勢がないことを浮き彫りにしました。
 そうした意味でも、池田SGI会長が訴えておられる「核兵器禁止条約」の制定が実現できるかは、非保有国の取り組みによるところが大きいのです。