この南無妙法蓮華経の御本尊さん、拝まなあきまへんで!

2013年4月20日(土)更新:1
・『実証に勝る説得力はない。一つの体験は、百万の言葉よりも重い』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20160831


【新・人間革命 勇将 五十五】
 有田幸二郎は、普通の食事ができるようになった――その功徳の実感を、本人も、妻の信子も、人に語らずにはいられなかった。
 難しい理屈は何もわからなかった。ただ、「この南無妙法蓮華経の御本尊さん、拝まなあきまへんで!」と言って歩いた。
 弘教の闘士が誕生したのだ。
 功徳の体験から生まれる歓喜こそ、広宣流布の無限の活力となる。
 二人は、家に来る人や近所の人に、日蓮大聖人の仏法の力を訴えていった。バスに乗っても、友人や知人の姿を見ると、すぐに仏法対話になった。入会五日目には、六世帯の人が題目を唱え始めた。
 ほどなく二人は班長と班担当員の任命を受けた。幸二郎の胃潰瘍は克服できたが、まだ神経痛は治ってはいない。医師もサジを投げた原因不明の病である。しかし、夫妻には、これも完治できるという確信があった。
 有田夫妻の班員は、奈良県の全域に散在していた。彼らが班長・班担当員になった年の暮れ、宇陀(うだ)郡の榛原(はいばら)で座談会が開かれることになった。この日、雪がちらつき、幸二郎は神経痛で起き上がることもできなかった。座談会には、たくさんの友人が出席を約束しているという。彼は決めた。
 “班長の自分が行かなければ、座談会は始まらない! 這ってでも行こう!”
 断じて使命に生き抜こうとする一念が、人間を強くする。他者のために、何かをなそうとする時、生命の底から、滾々(こんこん)と力が湧き出るのだ。
 幸二郎は、妻の信子と学会員の壮年に支えてもらい、雪の中を歩き始めた。一歩足を踏み出すたびに、苦痛で顔が歪み、額に脂汗が滲んだ。汽車、そして電車を乗り継ぎ、歯を食いしばりながら座談会場をめざした。
 ようやく榛原の会場にたどり着いた。学会員数人と、二十四、五人の友人で、部屋はいっぱいだった。健気な同志たちは、雪の中、有田夫妻が来てくれたことに対して、涙を流さんばかりに喜び、拍手で迎えてくれた。
   (聖教新聞 2013-04-18)