私は戦う!理想があるから

2013年4月21日(日)更新:4
【響き会う魂 SGI会長の対話録 第1回 南アフリカ共和国 マンデラ元大統領】
 世の毀誉褒貶を超え、“永遠なるもの”を求めて響き合う魂――池田SGI(創価学会インタナショナル)会長と世界の指導者の語らいを、交友の足跡とともに紹介します。
●二人の初の出会いはマンデラ氏の出獄の8カ月後。池田SGI会長が、いたわるように手を添えた。「『同志』が日本にいることを忘れないでください」。すると「池田会長のことを決して忘れません」。マンデラ・スマイルが輝いた。(1990年10月、聖教新聞本社で)


●その人には理想があった。
 理想があるから、どんな逆境にも、希望を手放さなかった。
 アパルトヘイト(人種隔離)をなくし、全ての人種が仲良く暮らす「虹の国」。その夢のために、27年半、1万日の投獄に耐えてきた。
 獄中で手紙に書いた。
 「達成したい理想を持たない人間は、屈辱や敗北に苦しむことがありません」
 「新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではなく、闘技場に立ち、嵐に服をずたずたにされ、闘いの過程で重傷を負った者なのです」
●「“民衆の英雄”を満腔(まんこう)の敬意で歓迎いたします!」
 SGI会長が歩み寄り、固い握手を交わす。
●「日本に行ったら、ぜひお会いしなければと思っていました」「人類の『永遠の価値』を創りながら、その価値で人々を結びつけている団体のリーダーとして、その役割は世界的に重要です」
 永遠の価値で人々を結ぶ。
 それこそ、マンデラ氏の生涯をかけた理想であり、青年に託そうとする未来であった。
      ◇
●90年の出会いでは、500人の青年、学生と一緒に英雄を迎え、こう語り掛けた。
 「『マンデラ』という飛び抜けた偉材が一人だけいても、他の人々が優秀な人材となり、活躍していかなければ、マンデラ氏の仕事は完結しないのではないでしょうか」
 「青年です。信念と英知の青年を育てられるかどうか。それで決まります」
 95年7月、東京・迎賓館での語らいでも「傑出した指導者、マンデラ大統領がリーダーシップを執っているうちはいいでしょう。問題はその後です。そこに世界も注目しています」と。
マンデラは最初からマンデラだったのではない。
 青年マンデラは、不正には、直ちに怒りの拳を突き上げずにいられない熱血漢だった。
 だが今日の我々が知る、鋼鉄の意思を笑顔の内に溶け込ませ、落ち着き払い、長く(身に區)を真っすぐに伸ばして歩く「王者」の風格を鍛えたのは、牢獄という「苦闘の溶鉱炉」であった。
 ベッドで足を伸ばし切ることができないほど狭い独房。炎天下の採石場での強制労働。敵意むきだしの看守たち。
 苦労ばかりかけてきた母と、最愛の息子の死。妻の投獄。黒人同胞が次々と犠牲になる。それでも、じっと耐える以外に、なすすべはなかった。
 氏を支えたのは、ただ、自分は正しいことをしているという信念であった。
 「精神という武器はダイナミックなものです」「ある意味で、囚人を自由の身に、平民を王に、ゴミを純金に変えてしまう」「この強固な壁の後ろに閉じ込めることができるのは、私の肉体だけなのです」
 萎えそうな気持ちを奮い起こし、臆病の心と闘い、自ら希望を創り出していった人間マンデラの軌跡を知れば、それは、「遠く離れた国の伝説」から、私たち自身の「生きた人生の教科書」へと変わる。
 氏が戦った人権闘争とは、アフリカの歴史の一ページではないのだ。差別が人の心に深く根ざすものであるかぎり、それは今、ここにある、私たち自身の問題にほかならない。
 ゆえに、マンデラ氏の人生について綴る時、SGI会長は、いつも強く訴えてきた。
 「私たちのための闘争でもあった。私たち日本人もふくめた、すべての『人間』の尊厳をかけた戦いであった」
 「人類を代表して、南アの地に生まれ、戦ってくださったのが、マンデラさんをはじめとする『自由の戦士』の方々だった」
      ◇
●95年7月5日、SGI会長と再会したマンデラ大統領は言った。
 「5年前の会見のことをはっきり覚えています。あの素晴らしい歓迎――創価大学の学生の皆さんも実に温かく迎えてくださった。忘れられません」
 「池田会長の大きな影響力をさらに発揮していただくことを願っています」
 さらに昨年、マンデラ氏からメッセージが届いた。
 「創価学会インタナショナルの会長として、創価大学創立者として、貴殿がこれからも日本、そして世界の青年たちの力になり続けてくださるように念願しております」
 未来に希望を送らんと、戦うことを止めない二つの魂は、今も響き合っている。
   (聖教新聞 2013-04-20)