配達を誉れの使命と捉え尽力される方々こそ聖教新聞の宝の存在である

2013年4月26日(金)更新:3
【名字の言】
 鎌倉時代に当然、郵便制度はない。手紙を通じた日蓮大聖人と門下の交流の陰には艱難の道を越え、書状を届ける“使者”たちの存在があった▼建治3年(1277年)10月、富木常忍に宛てたお手紙の末尾には「使いの方が帰りを急いでいますので、この返事は夜に書きました」(御書982ページ、通解)と。「使い」の名は残っていない。だが、この人が使命を果たさなければ、大聖人のお心は、常忍にも、後世の私たちにも届くことはなかった。池田名誉会長はたびたび、「無冠の友」(本紙配達員)の姿に重ね、その功労をたたえてきた▼福岡の壮年配達員は3年前、突然の劇症型心筋炎で緊急搬送された。病院に向かう車中、意識が遠のく中で、明日からの配達を心配し、注意点を細かく妻に伝えた。手術後の第一声は「早く配達がしたい」。今は完治し、仕事にも復帰。元気に配達へ駆けている▼大阪の婦人部の友は幼いわが子を亡くして間もなく配達員になった。“娘の分まで”の思いで「無冠の道」を走り30年。地域に友好を広げ、本紙を購読した友人の中から5人の入会者が生まれた▼本紙の配達を誉れの使命と捉え、尽力される方々こそ、聖教新聞の宝の存在である。感謝を忘れず、紙面の充実に努めたい。(剣)
   (聖教新聞 2013-04-23)