持続可能な開発、人権と非暴力、対話の力で連帯を促進――推挙の辞

2013年4月30日(火)更新:3
南アフリカ「クワズール・ナタール大学」 池田大作SGI会長に名誉社会科学博士号】
人文学部の卒業式で厳粛に授与〉
●連日の雨はあがり、南アフリカの陽光が降り注いでいた。
 式典の会場は、ピーターマリッツバーグキャンパスに隣接する、ロイヤル農業協会「オリンピアホール」。
 “アフリカの指導者たち”の晴れの門出を喜び合う人々であふれていた。
 大学が立つピーターマリッツバーグ市は、人権運動の“原点の地”として知られる。
 インド独立の父マハトマ・ガンジー。青年時代、弁護士として同市を訪れたことをきっかけに、生涯にわたる人種差別との闘いを決意した。
 ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領。1962年、反アパルトヘイト(人種隔離)運動で逮捕されたのが同市の郊外だった。以来、延べ27年半の獄中闘争が始まる。
 クワズール・ナタール大学もまた、誇り高き人権闘争の歴史が脈打つ、二つの大学が統合されたものだ。
 前身の一つ、国立ナタール大学は1910年、南アフリカ連邦の成立とともに創立。白人のための大学だったが、47年に黒人らのための医学院を設立した。黒人に教育の機会を提供した同国初の大学の一つとなった。
 2002年、同大学の「ネルソン・マンデラ医学院」からSGI会長に、人間の尊厳と世界平和への貢献を讃えて「人権・平和賞」が授与されている。
 もう一つは1960年代、インド人移民のために創立されたダーバン・ウェストビル大学。当初の学生数は少なかったが、70年代に増加。84年には白人など全ての人種に門戸を開いた。
 両大学は、反アパルトヘイト運動の重要な拠点となった。
 黒人の人権と尊厳を守る「黒人意識運動」を指導したスティーブ・ビコや、ガンジーの令孫であるエラ・ガンジー像博士は、ナタール大学の卒業生である。
 2004年、この2大学が統合されて「クワズール・ナタール大学」が誕生した。白人中心の大学と黒人中心の大学の統合自体が、あらゆる人種の真の融和を目指す挑戦でもあった。
 同大学は、ピーターマリッツバーグ市とダーバン市に、5つのキャンパスを持つ。
 人文学部、法学経営学部、健康科学学部、農工科学学部の4学部19学科に、約4万2000人の学生が学ぶ。
 世界46カ国・地域の一流学府と学術交流を推進。エイズウイルス撲滅のための研究では、アフリカ随一の実績が輝く。
 多彩な学問研究と積極的な社刊貢献で、アフリカ最高峰の教育を目指す、同国屈指の名門である。
●池田SGI副会長があいさつし、SGI会長の謝辞が紹介された。
 その中でSGI会長は「21世紀はアフリカの世紀」と主張してきた自身の信念に言及。
 マハトマ・ガンジーネルソン・マンデラ元大統領に象徴される不屈の闘志こそ、人類の未来を開く「アフリカン・ルネサンス」の光明になると語った。
 さらにアフリカへの万感の思いを、詩に託した。

 アフリカよ、あなたこそ光だ。
 アフリカには、人類史を転換しゆく
 大いなる使命が輝いている。

 悲しみの夕べもあるだろう。
 怒りと絶望の夜もあるに違いない。
 されど 友よ
 心静かに月光と語ろう!
 心広々と銀河を仰ぎ見よう!

 ――会場の空気が変わる。顔を上げる人。壇上をぐっと見据える人。目を閉じて何度も頷く人――。

 アフリカに学べ!
 アフリカに続け!
 その時 世界は変わる。
 新しい人間主義の夜明けが来る。

 静まりかえる場内。謝辞が終わるや、万雷の拍手が会場に響きわたった。
 式典後、ヴィタール副総長補は語った。
 「SGI会長のスピーチは、大変、啓発的なものでした。私たちが生きる現代について深い示唆に富む内容です。卒業生が非常に熱心に聴いているのも印象的でした。私たちの未来そのものである卒業生への重要なメッセージになったと確信しています」
   (聖教新聞 2013-04-25)