随筆 「立正安国」へ地湧の連帯 いざや立て 歴史に残せや 広布劇

2013年5月4日(土)更新:1
【随筆 我らの勝利の大道〈102〉 師子奮迅の力を!】
 いざや立て
  歴史に残せや
      広布劇

 三十年前(昭和五十八年)の四月二十一日、私は愛する東北の同志と、仙台の榴岡(つつじがおか)公園を訪れた。
 美事な桜が、「悠然と、君も勝ち抜け」と、王者の如く爛漫と咲いていた。
 その桜が、未曽有の大震災にも負けず、今年も、復興・新生に生きゆく友の傍らで、生命の輝きを放ちながら咲いたと伺っている。
 御聖訓には、「我等衆生法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」(御書八二七ページ)と仰せである。
 大震災からの一日一日、一月一月の歩みは、どれほど大変であるか。しかし、その「能忍(能く忍ぶ)」の信心によって、わが生命の大地に、永遠に揺るがぬ「幸福の根」が張られる。
 あまりに健気な東北の友に、希望の花、勝利の花よ、咲き薫れと祈りたい。
     ◇ 
 新年度を迎えた創価大学創価女子短期大学、そして東西の創価学園では、新入生をはじめ理想に燃えた英才たちが、元気に向学の青春をスタートした。
 八王子の創大も、小平の学園も、四季折々に美しい富士が望める。
 聞けば、近年、都内から富士山が見える日も増えているそうだ。
 「関東の富士見百景」(二〇〇五年選定)のうち東京二十三区内では、たとえば「東京富士見坂」が、わが故郷・大田をはじめ、目黒、世田谷、荒川、杉並の各区に選出されている。
 この百景には、神奈川、埼玉、千葉などでも多くの新名所が選ばれていた。
 烈風にも悠然と聳える富士を心に仰ぎつつ、今日も朗らかに進みたいものだ。

〈使命に生きる誇り〉
 かつて聖教新聞にも登場いただいた作家の新田次郎氏に、名作『富士山頂』がある。富士山頂――完成当時、世界で最も高所に置かれた気象レーダーの建設を描いた長編である。
 この大事業は、高地への建設資材の運び上げや乱気流、高山病等、幾多の困難との戦いであった。
 だが作業員たちは、その労苦の結晶が歴史に残る、「おれがあれを作ったのだと子孫に云える」という自負を胸に、建設の死闘を続けたのである。
 己の使命に懸けた、この気概! 苦難を誇りとして戦う、この気骨!
 我ら創価の師弟が、いかなる労苦をも惜しまず開拓しゆく世界広布の大道は、一代限りの戦いではない。 初代会長・牧口常三郎先生、二代会長・戸田城聖先生、さらに三代の私と、師弟不二の“魂のバトン”を受け継ぎ、そして万代へと広がる栄光の道を、宿縁深き地涌の同志と共に晴れ晴れと開いていくのだ。
 私たちは、後に続く未来の世代に宣言したい。
 誇りも高く、「我らが切り開いた一閻浮提広宣流布の大道を見よ!」と。
 この万年に続く「世界の平和」と「人類の幸福」への大遠征も、地道な一歩、執念の一歩を積み重ねていく以外にない。「最も遠くまで行く人」とは、「歩み続ける人」であるからだ。
 その“一歩”とは、自分自身を鼓舞する“もうひと踏ん張り”の勇気である。
 さらにまた、同志への励ましの“ひと声”であり、友人との真心こもる対話の“ひと声”である。自らの勇気の関わりから、次の一人また一人へと、立ち上がる生命のスイッチが入る。
 まず一人立つ。そこから全ては始まるのだ。これが「人間革命」即「広宣流布」の鉄則である。
     ◇ 
 「観心本尊抄」には、「現証有れば之を用ゆ」(御書二四二ページ)という一節がある。
 今、欧州の青年部では、一人ひとりが勇んで自身の人間革命に挑み、師弟共戦の勝利の歴史を築こうと、「実証キャンペーン」の運動を展開している。
 家庭で、学校で、職場で、地域で、いずこであれ、信心を根本に生き生きと頑張る。何でもいい、成長と勝利の姿を示す――そのこと自体が誉れの実証である。

〈自他共の勝利へ!〉
 「この仏法をやり抜けば、必ず幸せになる。絶対に勝利者となる」――これは、私が師・戸田先生にお会いした当時、深く生命に刻んだ大確信の指導である。
 この幸福勝利の大道を、世界中の若き弟子たちが歩んでいることが嬉しい。
 今月、SGI(創価学会インタナショナル)春季研修会のために、世界五十五カ国・地域から二百五十人の友が集ってくれた。
 皆、様々な悩みや課題がある。自身の宿命との戦いもある。そのなかで、わが同志は「祖国の平和と繁栄を築きたい」「社会に貢献できる人材になりたい」「苦しんでいる人を助けたい」と瞳を輝かせる。
 なんと尊貴な志の勇者たちであろうか!
 「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(同三五ページ)
 日蓮大聖人は、「立正安国論」に注がれた御真情を、こう記されている。
 この御心を、他の誰かではなく、真っ直ぐに“わが使命”として受け止めて、全地球のあの地この地から勇んで躍り出てきた地涌の菩薩たちよ!
 「立正安国」の精神は、まさに、わが創価の同志の生命と行動に脈打っていると確信してやまない。
 「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(同三一ページ)と、大聖人は強く促された。
 それは、「一身の安堵」に執着するエゴイズムを打ち破り、いうなれば「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」との誓いを共有することだ。
 本気で「自他共の幸福」を祈る自身へと変革することだ。そして、自分の身の回りから、「自他共の幸福」のために行動する人びとの連帯を、粘り強く広げることである。
 この草の根のスクラムを強固にしていくことが、「生命尊厳の社会」「人間のための社会」の土台となり、崩れざる民衆の幸福と平和を築いていくのだ。
     ◇ 
 昭和五十九年の八月、ブラジルSGIの婦人部の代表十二人が、はるばると来日してくださった。長野研修道場で、私と妻も最大に歓迎させていただいた。
 この折、一緒に「三重秘伝抄」を学びながら、私は申し上げた。
 「信心さえあれば、今いる場所を『寂光土』に変えていけるんだよ」と。
 つい先日も、その時に参加されていた方から、嬉しい連絡をいただいた。
 懐かしいこの母が貢献するサンパウロ州サンカエターノ・ド・スル市は、国連の「人間開発指数」において、五千五百を超えるブラジルの全都市の中で第一位に選ばれるなど、理想的な発展を遂げているという。
 そして、その模範の市民の活躍として、わが創価の友が絶大なる信頼と賞讃を寄せられているのだ。
 「三十年かけて、『寂光土』建設の大いなる実証を示すことができました!」との尊い報告に、私は妻と深く深く合掌した。

〈聖教は対話の広場〉
 この四月二十日は、わが聖教新聞の創刊六十二周年の記念日であった。
 愛読者の方々、配達員の無冠の友をはじめ、聖教を支えてくださる皆様方に、心より感謝申し上げたい。
 我らの「立正安国」への戦いは、どこまでも言論戦であり、地道な対話である。その対話の場を創ることが新聞の使命でもある。
 ゆえに聖教よ、人びとの心と心を結べ! 未来を開く談論風発(だんろんふうはつ)の広場となれ!
 今、大聖人の「立宗七百六十周年」を迎え、我らはいやまして強く、民衆を護り抜く正義の言論の師子吼を誓い合いたい。
 連載中の私の小説『新・人間革命』は、五月三日から「奮迅」の章に入る。
 法華経の涌出品に、仏の偉大なる力を譬えて「師子奮迅之力」(創価学会法華経四六三ページ)とある。
 この「奮迅」には「将(まさ)に前(すす)まんとするの状(じょう)」(今まさに前進しようとする姿)との意義もある。
 師子王が奮い立ち、疾駆前進する雄姿――これこそ創価の師弟であろう。
 法華経の開経である無量義経の会座には、その名に「師子」を冠した諸菩薩も列なっていた。「師子吼王菩薩」「師子遊戯世(ゆけせ)菩薩」「師子奮迅菩薩」「師子精進菩薩」「師子威猛伏(いみょうぶく)菩薩」である(同五ページ)。
 師子の如く、烈々と正義を叫び、自在に世界を駆け巡り、猛然と奮闘し、弛みなく精進し、その威厳で敵を圧倒する――そういう力で人を救う菩薩であろうか。
 御書には、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(一一二四ページ)と仰せである。
 「立正安国」の誓願を燃え上がらせ、朗々と妙法を唱え戦う我らに、「師子奮迅の力」が漲ってくることは絶対に間違いない。
 何ものも恐れるな!
 断じて負けるな!
 共に励まし合い、共々に「師子奮迅の力」を出して、戦い、勝とうではないか!

 恐るるな
  師子の心で
    今日も明日も

   (聖教新聞 2013-04-27)