自身の足元を固めよう

2013年5月16日(木)更新:3
【新・人間革命 奮迅 十】
 山本伸一は、皆の心が笑いによってほぐれたところで、「御義口伝」の一節を拝した。
 「仏法では、『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』(御書七一六ページ)と説かれております。
 私ども自体が、妙法蓮華経の当体であります。また、『足は経』とありますが、敷衍すれば、それは行動を意味するといえましょう。私たちは、今いる地を、深い因縁で結ばれた本有常住の国土ととらえ、”必ずこの地域を広宣流布するのだ! 幸せの花園にするのだ!”と決めて、勇んで行動を起こしていこうではありませんか。
 その決意と実践がなければ、何十年と、そこに住んでいても、広宣流布は進みません。草創の同志は、学会に対する地域の見方や評価が厳しければ厳しいほど、闘魂を燃え上がらせてきました。迫害にも動ずることなく、何があろうが、体当たりするかのように、必死になって弘教していった。
 だから、広宣流布の道が切り開かれたんです。だから、皆が大きな功徳を受けてきたんです。だから、歓喜と希望に満ちあふれていたんです。
 広布第二章の今、さらに新しい、その心意気を、その気概を、その決意を、燃え上がらせていくための『支部制』なんです。名称や形式の問題ではありません」
 誰もが、決意に燃えた目で、伸一を見ていた。彼の言葉は、皆の心に、深く、深く、染み渡っていった。
 「広宣流布といっても、どこか遠い、別のところにあると思うのは間違いです。自分自身のなかにあるんです。家庭のなかにあるんです。近隣の人びととの絆のなかにあるんです。創価の法友の輪のなかにあるんです。そこに、模範の広布像をつくるんです。
 自身の足元を固めよう――これが、最も強調しておきたいことです。足元を固めなければ、いかに組織が立派そうに見えても、結局、砂上の楼閣となってしまうからです
   (聖教新聞 2013-05-15)