広宣流布の人生に悔いなし 一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ

2013年5月23日(木)更新:3
【本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 (1999年2月)】
 一、遠いところ、本当にご苦労様です!
 御聖訓に「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)と。不滅の御言葉である。
 人間、何か悔いは残る。人生、どうしても悔いは残る。
 これが人間であり、人生であろうか。
 その反対に、人生の目的にまっすぐに向かい、本源的幸福の追求を完璧になしゆく人間、すなわち「広宣流布に邁進する勇者」には、悔いはない。
 悔いのない人生――それを教えてくださったのが日蓮大聖人である。その「最高の人生」を教えているのが創価学会である。
 この「喜び」と「確信」と「勇気」をもって進みましょう!

〈苦労した分だけ自身に大功徳が〉
 一、仏法には、一つも無駄がない。仕事も、生活も、全部の歩みが仏法である。信心根本ならば、すべて功徳となる。
 お集まりの皆様のなかにも、多忙な方や、さまざまな状況を抱えた方もおられるに違いない。しかし、こうして仏法の集いに来られたのだから、功徳は大きい。「最高の法」の軌道に乗っている。
 広宣流布の労苦は、無駄のように見えても、大変であっても、苦労した分だけ、すべてを生かしながら、「善」の方向へ、自分が向かっていく。それが信心の力である。
 一、大聖人は仰せである。
 「ひへのはんを辟支仏(ひゃくしぶつ)に供養せし人は宝明如来となり・つちのもちゐを仏に供養せしかば閻浮提の王となれり、設いこうをいたせども・まことならぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず、設い心をろかに・すこしきの物なれども・まことの人に供養すれば・こう大なり、何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや。」(同1595ページ)
 ――(ささやかな)稗(ひえ)のご飯を辟支仏(縁覚)に供養した人は宝明如来となり、土の餅を仏に供養した人は世界の王(アショーカ王)となった。たとえ供養しても、真実でないことに供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。たとえ、ぼんやりと軽い気持ちで少しの物を供養したとしても、真実の人に供養すれば功徳は大きい。まして厚い志をもって真実の法を供養する人々の功徳は言うまでもない――
 真実の法に供養すれば功徳は大きい。皆様は広宣流布に戦っておられる。「身の供養」をしておられる。
 そして、仏意仏勅の「世界一の創価学会」を堂々と築かれた。経文に照らし、御聖訓に照らして、その功徳は「無量無辺」である。

トルストイは書き留めた 自分に勝つ人が偉大
 仏法は勝負!祈りを 勇気を 行動を》
〈学会活動こそ最高の幸福の道〉
 一、女子部国際部の方が、トルストイの本(『人生の道』)から、わかりやすく翻訳してくださった。
 真心に感謝しつつ、いくつか紹介させていただきたい。
 「死への準備をするということは、良い人生を送るということである。良い人生ほど、死への恐怖は少なく、安らかな死を迎える。崇高なる行いをやり抜いた人には、もはや死は無いのである」
 最も偉い人とは、人を救う人である。崇高な行動の人である。
 「死への準備」を知り、それに備えて生きていく人である。
 その人こそ「最高の人生」を送っているのである。それが皆様である。
 「崇高なる行い」――学会活動である。私たちの信心の世界である。皆様こそ、この世で一番の幸福者なのである。
 「他人を知るものは賢いが、自分自身を知るものは目ざめた人である。他人に打ち勝つものは強いが、自分自身に勝つものは偉大である。死ぬときに、自分は滅しないことを知る人は、永遠である」(老子の言葉として、トルストイが記したもの)
 私どもの旅路は、「永遠不滅」の栄光の道である。
 一、広宣流布のために、戦って、戦って、戦い抜いて、「生老病死」の苦しみの人生から、「常楽我浄」の喜びの人生へと変えていく。勝ち飾っていく。
 これが妙法の信心である。日蓮仏法である。
 「御義口伝」には、こう仰せである。
 「四面とは生老病死なり四相(しそう)を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併(しかしなが)ら四徳の香(か)を吹くなり」(御書740ページ)
 ――(宝塔の)四つの面とは生老病死のことである。この四つの相をもって、我らの一身の生命の宝塔を荘厳するのである。我らが生老病死に当たって、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま常楽我浄の四つの徳の香りを吹き薫らせているのである――
 生命とは何か?
 人生を、どう生きるか?
 生老病死を、どう打開するか?
 ここが焦点である。時代の底流は、21世紀に向かって、その方向に滔々と流れている。
 永遠不滅の仏法を、先駆けて持った私たちは、闇のなか、夜明けを告げるトランペットの如く、偉大にして幸福な、そして愉快な「勝利のトランペット」を吹き鳴らしていきましょう!
 我らの行進で、「21世紀の希望の大哲学」の足跡を、勇壮にまた力強く広げてまいりましょう!

〈威風堂々と進め〉
 一、歴史を繙(ひもと)いても、「嘘が横行し、正義と真実が踏みにじられる社会」は、必然的に衰亡の坂を転がり落ちていくものだ。
 ゆえに、悪を責めねばならない。放置すれば、自分が悪になってしまう。
 戦わないのは「悪の黙認」に通じる。嘘に負けたことになる。
 これが大聖人の教えなのである。
 「仏法は勝負」である。一切は「勝負」――これが日蓮仏法の真髄である。
 一、末法の信心の真髄は、日蓮仏法の真髄は、折伏である。折伏をやる人こそが仏であり、御本仏の「誉れの門下」なのである。
 「広宣流布を進める人こそが、一番偉大な人である」と断言しておきたい。
 私どもは、「大聖人に直結」して生きる。自分自身に生ききってゆく。
 人がどうとか、世間がどうとか、評判がどうとか、小さなことである。
 人が同情してくれない、理解してくれない――あまりにも、ちっぽけなことである。
 正々堂々と、汝自身に生き抜き、決然たる祈りと行動で、この人生を飾っていただきたい。
 諸天善神を堂々と揺り動かしていく、自分自身になっていただきたい!
 尊き同志の皆様が、いつも健康で、ご長寿であられますよう、私は毎日、一生懸命、祈っている。
 皆様のための「名誉会長」だからである。
 (ここで、名誉会長の指揮で学会歌「威風堂々の歌」を合唱した)
 創価学会を世界一の団体にしましょう!
 戦おう!
   (聖教新聞 2013-05-22)