日々月々広布の為汗まみれになって実践していってこそ成仏につながる

2013年5月23日(木)更新:4
・『団結もまた、感謝から生まれるのだ』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20170210


【新・人間革命 奮迅 十六】
 教学試験は、各人の教学研鑽の努力を評価し、さらに張り合いをもって精進を重ね、信心の深化、成長を図るために実施されるものである。したがって、その機会を、より有効に、広宣流布の前進につなげていくことが、幹部としての大事な使命といえよう。
 後輩を人材に育てるために、全力で応援し、試験に合格した人には、一段と奮起し、成長していけるように、讃え、励ますことである。先輩幹部が、わがことのように手を取って喜び、励ましてくれたならば、どれほど大きな意欲が引き出されるか。
 反対に、先輩が、賞讃も、激励もせず、知らん顔をしていたのでは、後輩が大飛躍できるチャンスをつぶしてしまうことになる。
 それは教学試験に限ったことではない。人材育成グループのメンバーになった人や、表彰を受けた人に対しても同様であろう。
 とともに、いや、それ以上に重要なことは、教学試験に合格できなかった人や、人材育成グループに入ることのできなかった人、実績がありながら表彰されなかった人などへの励ましである。
 組織というのは、何かを行う時、どこかで“線引き”をしなければならない場合がある。大切なのは、該当しなかった方々への心配り、迅速な励ましを、リーダーは決して忘れてはならないということである。
 それを忘れれば、組織主義に安住してしまい、早晩、組織から人間性は失われ、冷ややかな官僚主義に陥ってしまうことになる。山本伸一は、そのことを深く憂慮し、断じてそうはさせまいとの思いで語ったのである。
 「教学試験に合格された幹部の皆さんを、私は心から祝福するとともに、合格のみでは“理”であることを申し上げておきたい。
 日蓮大聖人の仏法は“事”であります。日々月々、広宣流布のために、汗まみれになって実践していってこそ、成仏につながる。
 私どもがめざすべきは、有解有信でありますが、有解無信の人よりも、無解有信の人の方が、はるかに尊いことを知ってください」
■語句の解説  ◎有解有信など/有解有信は、仏法の法門について理解もあり、信心もあること。最も勝れた信心の姿勢をいう。有解無信は、仏法の法門に理解はあるが、信心はないこと。無解有信は、仏法の法門に理解はないが、信心はあること。また、仏法の法門に理解もなく、信心もないことを無解無信という。
   (聖教新聞 2013-05-22)