誓いを果たす人生は幸福

2013年5月26日(日)更新:3
【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも) 〈32〉長崎】
〈どんな時だって〉
●「青年塾の完成、おめでとう!開所式をやろう!」
 諫早文化会館に到着した後、名誉会長が真っ先に向かったのは、敷地内にある「長崎池田青年塾」だった。
 半年前、熊本の地で、名誉会長は提案していた。「長崎に『青年塾』をつくってはどうか。そこで御書を学び、後継の人材を育てよう」
●先生の弟子なら、信心は一人前、仕事は三人前――そう誓い、仕事をやり切って、塾の建設に駆けつける日々。休日も返上して腕をふるった。
 それだけに、真っ先に名誉会長が開所式に臨んだと聞いて、うれしかった。誇らしかった。“先生は、全部分かってくださっていたんだ”と思った。名誉会長の滞在中、創価班の役員として、一緒に勤行し、生涯の原点を刻んだ。
●「今でも青年塾を見るたび背筋がシャキッとしますけんね。先生との誓いば、忘れたらいけんって」
      ◇
●「あすは、みんなを読んでいらっしゃい」
●大迫さんは小躍りしたが、なんと、他のメンバーを探しに行っているうちに、撮影は終わってしまう。落胆する気持ちをこらえて、1階ロビーで着任していた時のこと。
 笑顔の名誉会長が、2階から下りてきた。
 「いつもありがとう!ご苦労さま!」
 優しく握手してくれた。そして、「これで、何か食べなさい」と、食券を1枚、手渡してくれた。
●「1枚じゃ少ないかな。でも、あんまりたくさんあげると、女子部だし、食べ過ぎて太ってもいけないから」と、手のひらに、もう1枚。
 「お世話になるね。よろしくね」。そう言って、名誉会長はその場を後にした。
 大迫さんは、この時の食券を1枚だけ使い、もう1枚は大切に服のポケットにしまった。名誉会長の手のぬくもりを忘れない。
●「先生はね、どんな時でも、一人の人を大切にしてくださるとよ」

〈まぶたの感触〉
●高校3年のころ、失明の危険性がある「ベーチェット病」を患った。視力がみるみる落ち、大学では、教室の黒板も見えなくなった。そんな松竹さんを心配し、高比良さんが入会を勧めたのだ。
 松竹さんを、学生部の仲間が献身的に支えた。ノートに代筆し、教官にも授業の進め方を配慮するよう掛け合った。名誉会長はそうした報告を聞き、「会おう」と言ってくれたのである。
 夕暮れが迫っていた。会館の外に立つ松竹さんは、近づいてくる人影に、圧倒的なエネルギーを体全体で感じた。
 「松竹くんだね!話は聞いているよ!」
 名誉会長だった。
 「目が大変ななか、本当によく頑張っているね」
 次の瞬間、名誉会長は、松竹さんのまぶたに、そっと手のひらで触れた。
 「しっかり勉強して、偉い人になるんだよ!」
 その後、松竹さんは鍼灸師を志す。ルーペを使い、顔を本にすり寄せ、一文字一文字を追いながら学んで、資格を取った。苦しい時は、いつも、まぶたに感じた手のぬくもりを思い出しながら――。
 25歳で鍼灸院を開業。現在も、地域で評判の腕を保つ。
 さらにもう一つ、松竹さんが挑戦してきたことがある。障害者スポーツだ。「『偉い人に』とのご指導を、何かで形にしたかったんです」
●「負けない人生を貫いてこられたのは、あの時の先生の励ましのおかげです」
●松竹さんらと会った後、臨んだ県幹部会。そこで、名誉会長はこう語っている。
 「誓いを持つ人生は深く、充実がある。覚悟を決めた人ほど強いものはない」
対馬の同志に、たび重なる激励が。その年の夏、伸二さんにも、名誉会長から一冊の御書が届いた。裏表紙には「創価対馬山 勝利伸二城」と記されていた。
      ◇
●5日間の掉尾を飾ったのは、27日、九州男子部の愛唱歌「火の国『青葉の誓い』」の発表会。名誉会長と共に、九州各県と長崎の代筆が諫早文化会館の庭に集った。
 歌詞は、青年部が草案を作り、名誉会長が滞在中、何度も推敲を重ねたもの。
 「今から、私が最も信頼する青年が歌います」。名誉会長が来賓に告げると、九州男児のはつらつとした歌声が、5月の空に響いた。
 ♪夜明けの世紀だ 黎明だ ああ青葉の誓い 忘れまじ
 名誉会長が寸暇を惜しんで激励した長崎の青年たちは、31年後の今、「平和の世紀」を開きゆく、中核の人材群となって躍動する。
 誓いを果たしゆく人生ほど美しいものはない。幸福なものはないのである。
   (聖教新聞 2013-05-23)