先生なら、なんと言われるか。どう行動されるかを考え抜いていく

2013年7月4日(木)更新:6
・『先生が、いつ、どこにあっても自身の胸中にいる人が真の弟子なんです』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20170711


【新・人間革命 奮迅 五十二】
 山本伸一の御書講義は、語るにつれて、ますます熱がこもっていった。
 「最初に私は、戸田先生の『名代』として地区講義を担当することになったと申し上げましたが、同様に皆さんもまた、先生の『名代』の自覚をもっていただきたい。
 戸田先生は、初代会長の牧口先生亡きあと、先師の遺志を受け継いで、ただ一人、広宣流布に立たれた。今度は、私ども弟子が、恩師・戸田先生の心を心として、『名代』の決意で師弟不二の道を進んでこそ、大願の成就があります。
 したがって、常に、”戸田先生なら、こういう場合にはなんと言われるか。どう行動されるか”を考え抜いていくことが大事です。
 少人数であっても、ここにいらっしゃる皆さんが、先生の『名代』であるとの自覚に立てば、川越地区も、志木支部も、埼玉も大発展します。大勝利します。百獣の王たる師子王の戦いを、起こそうではありませんか!」
 受講者は、伸一の話に固唾をのみながら、真剣に耳を傾けていた。
 さらに伸一は、「聖人御難事」の「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書一一九〇ページ)の箇所を取り上げ、「日々発心」の信心の大切さを訴えていった。
 「広宣流布とは、魔との壮絶な戦いなんです。昨日まで、どんなに懸命に頑張り抜いてきても、少しでも前進の歩みが止まれば、魔に付け入る隙を与えてしまうことになる。
 とかく人間は、困難の壁が厚いと、”これでは、とてもだめだ”と投げ出し、戦いの気概を失ってしまう。反対に、困難を克服できそうになると、”もう大丈夫だ。なんとかなる”と思って油断し、手を抜いてしまう。
 どちらも、魔に食い破られた姿です。魔の狙いは、ともかく精進を忘れさせて、広宣流布の流れを停滞させ、破壊することにある。
 それに勝つには、日々前進、日々挑戦、日々向上していくしかない。自転車は止まれば倒れる。一生成仏の戦いも同じです」
   (聖教新聞 2013-07-04)