斬新な激励は、同志に尽くす深い祈りから生まれたものだった

2013年7月8日(月)更新:2
【名字の言】
 わずか10日間で日本一の弘教が実った、1955年(昭和30年)の「札幌・夏の陣」。陣頭指揮を執っていた池田名誉会長は、友に電報を送った。「悔いなき闘争を祈るのみ 池田」▼送り先は主に札幌市内。毎日のように顔を合わせる人も多くいた。“なぜ、わざわざ電報を?”と周囲の幹部は不思議がったが、電報を受け取った友の感激は想像以上だった。これを機に、札幌の友は大拡大を成し遂げた▼当時を振り返り、名誉会長は戸田第2代会長の言葉を通して語っている。――あの人のために何をしてあげたらいいかと、常に心を砕きに砕く。ゆえに、誰もが気づかないところにも気づく、と。斬新な激励は、同志に尽くす深い祈りから生まれたものだった▼「夏の陣」の終盤、ある友が「これ以上、弘教はできません」と言った。名誉会長は労をねぎらいつつ、「弘教は、相手への慈悲なのだから、“もうできない”ということは、ありえません。すべての人を幸福にしていこうではありませんか」と励ました▼幸福の連帯を広げる前進に、行き詰まりはない。「あの人のため」と祈りに祈るなかに、知恵と慈悲は無限に湧く。いよいよ上半期の総仕上げ。われらの「夏の陣」を「悔いなき戦い」で飾りたい。(鉄)
   (聖教新聞 2013-07-08)