師弟不二の精神こそが、常勝将軍たらしめていく原動力となっていった

2013年7月15日(月)更新:1
・『苦悩、宿命への挑戦・転換のために学会活動がある』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20170827


【新・人間革命 奮迅 六十】
 川越地区の御書講義を雪のため早めに切り上げた山本伸一は、戸田城聖の自宅に向かった。地区の様子を報告しておきたかったのだ。
 伸一は、日々の行動は、すべて戸田に報告していた。師匠に自分の戦いを知ってもらえることが嬉しかった。そして、“弟子として、先生に胸を張って語れぬような、だらしない戦いなど、断じてすまい!”と、いつも自分に言い聞かせて、活動に励んできたのだ。
 師の心を体して弟子が戦う――この師弟不二の精神こそが、伸一を常勝将軍たらしめていく原動力となっていったのである。
 川越地区の御書講義翌日の十二月十日、伸一は、神奈川県川崎市木月で行われた、蒲田支部多摩川地区の班座談会に出席した。
 神奈川県には鶴見支部があった。鶴見支部は、戸田が第二代会長に就任する直前の一九五一年(昭和二十六年)の春、「弘教の拡大をもって戸田先生を会長に迎えよう」と、皆が新たな挑戦を開始した。その敢闘は目覚ましく、この年の四月二十日に創刊された「聖教新聞」の第一号に、「聖火鶴見に炎上」との見出しで、活動の模様が紹介されている。
 広宣流布を推進していくうえで、政治、経済、文化等の中心である首都・東京は重要である。では、その東京を牽引していくのはどこか――戸田は、それが東京を囲む首都圏の各県であり、まずは、志木支部、鶴見支部という支部組織のある埼玉、神奈川であると考えていた。だから、志木支部川越地区、鶴見支部市場地区の御書講義に、伸一を派遣したのである。
 木月の座談会は、熱気があった。友人も数多く参加していた。伸一は、この日、御本尊の偉大なる力を述べるとともに、「仏法は勝負」であることを訴えた。
 正義は、一つ一つ、勝利の実証を示すなかで明らかになる。ゆえに、勝つことを宿命づけられているのが、広宣流布の道である。そのなかで、不敗の闘魂を燃え上がらせる時、自身の人生に王者の栄冠が輝く。
   (聖教新聞 2013-07-13)