一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり

2013年7月16日(火)更新:7
【名字の言】
 「ただ今、この一瞬の一念というもの以外には何もない。この一念一念を積み重ねて行くことが、一生だ」。武士道の教科書といわれる『葉隠』(能文社)の一節だ▼「一念」とは「瞬間の心」という意味である。御聖訓には「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790ページ)と。成仏の境涯を開くといっても、その道は、瞬間、瞬間に億劫の辛労を尽くして精進するところにしかないとの仰せだ▼昭和31年の「大阪の戦い」が終盤に入ったころ。当時、女子部班長だった婦人のもとに、若き池田名誉会長から一枚のはがきが届いた。「“一念巌を射る”と。自己の宿命を、断固打開しゆく、強い、そして伸々とした信心を忘れては成らぬ」▼婦人は12歳で父を、17歳で母を亡くした。美容師として働き始めたものの、結核を患う。幸せを求めて入会。祈り、5年近くの療養生活を経て、同30年に退院した。“池田先生は、全てを分かってくださっている”。歓喜の涙は、勝利への決意に昇華した。今もはがきを離さず、対話に駆けている▼時の流れは平板ではない。同じ一日でも、十年に匹敵する重みを持つ一日がある。巡り来た「きょう」という一日を、かけがえのない「宝の時」に――。(芯)
   (聖教新聞 2013-07-16)