「主」である「民」が賢くあってこその「民主主義」

2013年7月19日(金)更新:4
【名字の言】
 “対話”を重んじた教育思想家に、ブラジルのパウロフレイレがいる。為政者の意のままに抑圧され、貧しい環境に甘んじていた労働者への識字運動を指導。対話を通し、主体的に社会を見つめ、行動する姿勢の大切さを訴え続けた▼「本当の意味での革命ならば、遅かれ早かれ、一般の人たちとの勇気ある対話を始めることになる。革命の正当性は、人々との対話にあるのであり、人気取りや、うそのうちにあるのではない」と(パウロフレイレ著、三砂ちづる訳『新訳・被抑圧者の教育学』亜紀書房)▼創価学会の運動もまた、“無知な大衆を、選ばれた人間が指導する”といった、あしきエリート主義とは対極にある。友のもとへ足を運び、一人一人の無限の可能性を説く“対話”を根幹とする。戦時中の弾圧の中でも、戦後の本格的な広布の発展期においても、三代の会長は座談会に足を運び、民衆の現実の苦悩に耳を傾け、励まし、共に学んできた▼為政者が民衆を心から尊敬し、信頼しているかどうか。共に学び、共に歩む友と見ているかどうか。政治を監視する根本の視点を、そこに置きたい▼「主」である「民」が賢くあってこその「民主主義」。その大地を耕す対話運動に、きょうも誇り高く進もう。(市)
   (聖教新聞 2013-07-19)