「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「変毒為薬」

2013年7月19日(金)更新:5
・『自行化他にわたる実践のなかにこそ自身の真実の幸せがある』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20171001


【新・人間革命 奮迅 六十五】
 集った婦人たちのなかには、夫が失業中の人もいれば、子どもが病床に伏しているという人もいた。それぞれが、さまざまな悩みをかかえていたが、皆の顔は明るく、決意と喜びに輝いていた。
 広宣流布に戦う人は、いかなる大苦があろうが、根本的には、既にその苦悩を乗り越えているのだ。胸中には、仏・菩薩の大生命の旭日が昇っているからだ。
 宿命の暗夜など、何も恐れることはない。わが生命を燃え輝かせ、闇を照らし、蘇生の朝を告げていくのだ。
 山本伸一は、生老病死の四苦を人間は免れることはできないが、常住不変の生命の覚知によって、この人生の根本問題を解決していく道を示しているのが仏法である、と力説した。
 「人生の旅路には、辛い時もあるでしょう。悲しい時もあるでしょう。絶望的な気持ちになることもあるかもしれない。しかし、御本尊に題目を唱えていけば、力が出る。限りない生命力が湧いてくる。そして、唱題と弘教の実践を続けるなかで、宿命は転換され、大福運がついていきます。まさに、自行化他にわたる題目こそ、この荒れ狂う社会を生き抜いていくための原動力であります。
 ともかく、信心の世界にあっては、法のため、広宣流布のために、悩み、苦しんだことは、すべて偉大な功徳、福運となります。いな、最も苦しんだ人こそが、最も幸せになれるんです。それが真実の仏法なんです」
 わが宿命は、自ら担った尊き使命でもある。「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「変毒為薬」等々の原理が示すように、信心という確固たる生命の軸があれば、人生に襲いかかる一切の不幸は、逆転の大ドラマとなるのだ。
 そして、広宣流布のために流した悔し涙は、感涙と変わり、浴びせられた中傷は、賞讃となり、苦闘は、栄光の王冠と輝く。
 法のため、友のため、社会のために、勇んで今日も汗を流すのだ。苦労を重ねた分だけ、勝利の喜びは大きい。
   (聖教新聞 2013-07-19)